2013.10.29

かの女と、ビール。(文学フリマサンプル)

11月4日の文学フリマで販売する書籍の一部です。
書籍では「かの女と、ビール。」というタイトルの、
女の人とビールにまつわるストーリーの短編小説を5編、書きました。
そのうちの一つの半分くらいですが、是非、読んでみてください。

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彼女と、ビール。  川島しずか 十七歳

 


 私の好きな男が私の嫌いな女の髪を撫でた。それは間違ってはいなかった。それは自然な事だった。なぜならその私の好きな男と私の嫌いな女は付き合っていたからだ。恋人同士が触れ合う事に何一つ問題はなかった。寒さが本格的になってきた通学路で、私は一人でそれを見ていた。

 

 私は私の好きな男の背中を眺めながら登校するのが日課になっていた。高校に入学してから三日後の全体朝礼で彼を見てから、言う事の聞かない飼い犬みたいに心が勝手に走り出してしまった。好きになってしまった理由なんか無限に出てくるし、そんなものがあろうがなかろうが、私は彼を好きだった。好きという感情以外に好きである理由はもう必要なかった。

 

 高校二年になって、冬が来た。私がマフラーを引っ張り出してきた日から、彼の隣に女が現れた。女は私が嫌いな女だった。女は私よりも背が低くて私よりも瞳が大きくて私よりもスカートが短くて私よりも髪が綺麗で私よりも友達が多くて私よりも努力をしていた。

 彼の長くてでこぼこしたかわいい指が、女の髪を梳かすみたいにすり抜ける。私の毎朝の、いや、人生のひっそりとした喜びが、女の出現によってただの苦行に変わってしまった。口のあたりまでひっぱったマフラーの中で、はぁっと息を吐く。

 

「もうムリ」

 

 放課後、私は友達の洋子を連れて河原にやってきた。凍ったようなベンチになるべく触れないように腰をかけて、背中をきゅっと丸める。

「何が?」


 洋子は缶のチューハイに口を付けて言う。


「あれ」


 私はビールを喉に流しこんで、アルコールくさい息と一緒に吐き捨てる。冬の寒さで冷たくなったビールは体が凍えてしまいそうなほどおいしかった。冷たい空気とアルコールで鼻の奥がつんとひりひりする。

 あぁ、と洋子は興味なさそうに言う。


「あんた、まだ好きだったんだ」


 旬を過ぎたテレビの芸人を久しぶりに見たときみたいな言い草だ。この人まだいたんだ、みたいな。

 私が洋子の言葉に黙っていると、洋子は突き放すように言う。


「だってあんた、何もしてないじゃん」


 その通りだ。私は何もしていない。私の恋はただ毎朝彼の背中をスナイパーみたいに追いかけて妄想の光線を撃ちまくって想像の中で焼き尽くすだけだった。現実に話しかける事も、好かれようと努力をする事もなかった。だけどそれは正しかった。私にとっての恋は、それがスタートでそれがゴールだった。痛くて気持ちいい毒みたいなのを脳内で勝手に生成して、それを体中にちりばめて、それだけで満足だった。


「そうだけど……」


 薄い手袋を通して缶の冷たさが滲んでくる。

 そうだけど、あの女が現れてから、毒は私の中で暴れ出した。心地良かった成分は全部とげのある痛みに変わった。吐き気がして涙まで出るようになった。感情が手に負えなくなってしまったのだ。

 白いトイプードルを散歩しているジャージ姿の中年男を目で追いかける。男のゆったりとした歩調にトイプードルはしっかりと息を合わせて歩いていた。ジャージの擦れる音が、遠くなのにやけに耳に響く。

 私の硬い髪では、あの女のように彼の指はすり抜けずに絡んでしまうだろう。べたついていたりおかしなニオイがついていたりして、きっと彼を不快にさせてしまうだろう。

 そう思うと、泣きたくなってきた。泣きたかったけど涙が出なかったから、半分くらい残ったビールを一息に喉に押し込んだ。押し込んで、その場で吐いた。ゲロと一緒にほんの少しだけ涙をしぼり出す事が出来た。

 洋子は、何してんの、ウケる、と言ってげらげら笑っていた。

 そうだ、私の好きな男にもこんな風に笑ってほしい。どうせ好きになってもらえないのだったら、どんな風に思われてもいいから腹を抱えて笑ってほしい。

 洋子があまりにも笑い続けるので、私も涙と涎を垂らしながら、へへっと笑ってみせた。

 空き缶はつぶさないでベンチの端に置き去りにした。









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あと半分くらい続きます、続きは書籍でどうぞ….。

(ブースはB-33です)