2013.07.25
似ている(後篇)
ノートに書いてある「石崎まこと」の文字を見て、急に鳥肌がたった。
その文字は確かに僕の文字だった。
誰かがいたずらで忍ばせていたものではない。
言葉をなくして固まっていると、先生が顔をのぞく。
「大丈夫?」
ぞうきんをぎゅっとしぼったみたいに、体中から汗が吹き出る。
「もう少し横になってなさい、気分が悪いようだったら救急車を呼ぶから」
魔法にかけられたみたいに、喉から言葉が出なくなった。
象の足音みたいなチャイムが重く鳴り響く。
こんな音だったっけ。
窓の方に目をやると、校庭で遊んでいたみんなが一斉に校舎へと戻っていく。
今、昼休み? 5時間目? 放課後?
時間の感覚がわからなくなった。
グラウンドを走るみんながスローモーションに見えた。
ボールがバウンドする音が、殴られるみたいに伝わってくる。
足に力が入らなくて倒れてしまいそうになったとき、先生が窓の外を指差した。
「ほら、あの子、金本ゆうきくん」
先生の指の先には僕の姿があった。
ちがう、僕が金本ゆうきだ!
あいつはニセモノだ!!
心の中でそう叫んだ時、僕は震える足で走り出していた。
保健室を飛び出て、上履きのまま校庭に出る。
僕はニセモノの僕をめがけて飛びかかった。
間近でみる自分に怖くなったけど、とにかく殴りかかった。
「石崎くん! やめなさい!」
先生が後ろから追いかけてきて言う。
だから僕は、そんな名前じゃないって。
先生の言葉を無視して、恐くて全然力の入らない拳で何度も殴った。
ニセモノは「やめろ!」とか「いたい!」とか言ってたけど、その声も僕の声だった。
僕は怒りと恐怖で体中がふるえた。
馬乗りになったまま弱々しい拳でニセモノを殴っていると、先生が後ろから僕の襟首をつかんでひきはがした。
おばさんの先生とはいえ、大人の力は強力だ。
僕は勢い余って転び、また地面に頭を打ってしまう。
そして、僕はもう一度気を失ってしまう。
でも、何か変だ。
気を失っているのに、意識がある。
僕はこれを知っている。
これは夢だ。
これは、夢だったんだ。
それに気付くとすぐ、現実の僕は目を覚ました。
手があたたかい何かに握られている。
母さんの手だ。
起きたよ、とサインを送るために、手に力を入れる。
母さんは僕の目を見て、起きた! 誰か! 先生! と大声で騒ぎだした。
母さんがあまりに大きな声を出すから恥ずかしかったけど、結構な大事になっていたみたいだ。
酸素マスクみたいなものと、点滴みたいな管がいくつか体にくっついていた。
全身にいろんな痛みが宿ってる。
白髪の医者が僕のまぶたを軽く開いて、とりあえず大丈夫です、安心してください、みたいなことを母さんに伝えた。
話の中で、鉄棒から落ちたときに、という言葉が何度も出てきた。
さっきまで見ていたのはやはり、夢だったのだ。
当たり前だ。 自分が二人いるなんて話、ありえない。
しかも、僕の方が「石崎まこと」なんてよくわからない名前になってるなんて。
僕は生まれたときからずっと「金本ゆうき」だ。
自分の名前にこんなにも安心できるなんてちょっとおかしいけど、ひどい悪夢から解放されて、僕は安心した。
医者がいなくなったあと、母さんは僕の手を握って顔をのぞきこむ。
今までに見たことの無い、心配しきった顔をしていた。
ごめんなさい、と心の中で言った。
母さんは僕の目を見つめながら、かすれた声で言う。
「もう鉄棒なんかでふざけたりしたらだめだからね、まこと」
(終)