2013.08.12
すずむしの鳴く宇宙で
「まただ」
ユキは窓を見る。
太陽が宇宙の底まで沈んだ外はひたすらに暗く、反射した自分の姿しか見えない。
「星の光に聴こえる」
夏の暑さがこびりついた九月、鈴虫が夜に歌うようになった。
その鈴虫の声が、星の光みたいに聴こえるのだ。
星の光の音、ではなく、星の光が直接耳に入ってくる感じ。
でも、窓の外には隣の家の壁しかなくて、光なんかはどこにもない。
窓に反射する自分としばらく目を合わせる。
「あたしってこんなブサイクな顔してたっけ」
腫れぼったい目に乾いた髪、脂が乗って鈍く光るおでこと鼻先。
ユキは両手で顔を挟んで、誤魔化すように頬を揉んだ。
首を振りすぎて疲れた扇風機が、慰めるようにユキの短い髪を撫でる。
生ぬるいだけの風がまとわりついて、ユキは扇風機の向きをぐいっと変えた。
明日までに提出しなければいけない文化人類学のレポートは、まだ半分も進んでいない。
ラップトップのパソコンのディスプレイにはわずかな文字が並んでいるだけで、白い光がほとんどだった。
床に落ちてるゴミが気になったり、聞き飽きた音楽を何度も選びなおしたり、キッチンに行って麦茶を飲んだりして、時間だけが姿勢良く進んでいった。
レポートを書く時は、いつもそんな感じだ。
提出時間寸前に適当な言葉を絞り出して、ハリボテの文章で取り繕う。
前の日に取り組んでも進まないのはわかっている。
ただ不安を濁すために、夜中まで起きてディスプレイと終わりの無いにらめっこをしているのだ。
ラジオが午前三時を告げた頃、鈴虫の声が聴こえ始めた。
三時になる前から鈴虫は鳴いていたのかもしれない。
でもなぜか、そのタイミングで気が付いた。
ユキはラジオのボリュームを落として部屋の電気を消す。
ラップトップのパソコンをぱたんと閉じる。
部屋の光が消失するのを見届けたら、あぐらをかいて背中を丸め、はぁっと息をこぼす。
目の前の暗闇に、鈴虫の声がきらきらと光る。
たまにコオロギの声も混じって、天の川みたいになる。
六畳の部屋で佇んでいるだけなのに、心は限りない宇宙とつながっていた。
「なんだろう、これ」
ユキは暗闇で唸る扇風機に向かって、ぼんやりと思う。
扇風機は知らぬ顔で首を降り続ける。
あと二時間もすれば太陽が浮かび上がって空が目を覚ます。
暑苦しい一日が始まってしまう。
隣のアパートで、誰かがシャワーを浴びている音が聴こえた。
ユキは暗闇の中でパソコンを開く。
白い光がユキの顔を照らした。
「すずむしの声で光る宇宙について書こう」
ユキはスムーズにキーボードを叩き出す。
文化相対主義についてのレポートは、すずむしの鳴く宇宙へとつながった。
(終)
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