2013.09.20
右腕
男は、右腕は無くてもいいのではないかと思い、その日のうちに切断した。
肩から10センチ程度の部分を、あらゆる道具を使って、なるべく痛みのないように切断した。
右腕がなくなっても男は生きていた。
不自由ではないか? と訊ねた。
不自由など最初からない。
不便でもない。
ただ右腕が無いだけだ。
俺は欲しいのはこんなもの(右腕)じゃない。
例え身体がどんなに思い通りに動いたとしても、出て来るものも、出て来ないものも、何も変わらないんだぜ。
俺が欲しいのはそういった、器質的なものじゃなく、才能とかセンスみたいなものなんだ。
もちろん、右腕をなくすことでそれが手に入るわけじゃない。
ただ、気になったんだ。
便所で用を足してる時に、何故か、右腕だけが目についた。
そこにあるのが当たり前だったものが、急に不自然に見えた。
無くてもいいんじゃないかって考えるうちに、いらないと思うようになった。
そのうち他の部分も切断することになると思う。
左腕、右足、左足。
男はなくなった右腕を振りかざして言った。
どんどん意識に近づいていきたいんだ。
君は不自由ではないか、と訊いたけど、では君は自由なのか?
きっと、自由の先にあるものと、不自由の先にあるものは同じものなんだ。
君が不自由を遠ざけて自由を求めるのと同じように、俺は自由を遠ざけて不自由に身を投げる。
その先にあるものは、個人的な幸福だよ。
とにかく、いらないと思ったものは捨てるべきなんだ。
あとで必要になるかもしれないものでも、今、いらないと思ったら、今、捨てるんだ。
なるべく取り返しのつかないものの方がいい。
金とか、親とか、恋人とか、土地とか、仕事とか、身分とか。
もちろん、闇雲に捨てればいいというわけじゃない。
捨てるべきものを、正確な方法とタイミングを以て捨てるんだ。
男は空中のどこかを見て笑った。
右腕を失ってから、幸福に近づいているのがわかる。
世界はこれからもっともっと良くなる。
世界というのは、個人的な世界だが。
失うということは、その部分に空間が生まれるということなんだ。
俺の場合、右腕を失ったことで、右腕分の空間が宇宙に生まれた。
そこに意識を介入させるんだ。
肉体(右腕)が支配していた部分を、今度は意識で満たす。
水たまりが溢れて流れ出るように、そのくぼみに意識を注入するんだ。
男は、自分が失ったことで得た幸福感に酔いしれるように、喋り続けた。
翌日、男はトラックに撥ねられて死んだ。
男の個人的な幸福は、永遠に消滅してしまった。
(終)
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