2013.07.30
第十二話 「診察室3」
相沢は軽くうなずいた。
「そうですね、それがいいでしょう。私も、タンノさんが魂の死を迎えるには、タイミングが違う気がします。あまり個人的な見解を述べるのは正しくないのですが、なんとなく、そう思います」
机の上の書類を手に取り、相沢は言う。
「それでは、これから生き返るために必要な条件と、その後についての説明をさせていただきます。その説明内容も、判断の材料に加えていただければと思います」
タンノは口の中で、はい、と返事をした。
判断するもなにも、もうすでに決心はついているのだ、と思ったが、少し想像して立ち止まった。
もし地獄のような場所で何万年も痛みを味わうとか、記憶をすべて失ってゼロからやり直すとかいう場合だったらどうだろう。
俺はそれでも生き返ることを望むだろうか。
床に落とした視線が固くなった。
タンノの視線を拾い上げるように、そこまで不安にならなくてもだいじょうぶですよ、と相沢は話の頭につけた。
「まず、生き返る条件についてですが、こちらは簡潔に言うと、もう一度生きてもらう、というものです。現実とは別の空間ですが、現実と同様の仕組みで成り立った、いわば擬似空間のような世界で、もう一度生きてもらいます」
タンノは眉にしわを作り、説明の続きを待った。
「記憶にあると思いますが、タンノさんは刺されました。そしてその傷による出血多量が主な原因で、肉体の死を迎えたのです。その死の直接的な原因となる出来事が起こる数分前、数時間前、あるいは数日前から、もう一度生きなおしていただきます」
「そうしたら、もう一度刺されて死んでしまうんじゃないですか?」
「もしかしたらそうなるかもしれませんし、そうはならないかもしれません。お伝えしている通り、その世界はタンノさんが過ごしてきた現実とほとんど同じですが、あくまでも擬似空間であり、タンノさんのテストの場です。すべてがまったく同じということではなく、少しずつ何かがずれていたりするはずです。現実では存在しないものが存在したり、あったものがなかったりするでしょう。現実と全く変わらないのであれば、その世界で暮らすことが人生になり得てしまうわけですから」
険しくなるタンノの顔を見て、相沢は背中を丸めて言う。
「少しわかりづらいかもしれませんが、あくまでも虚の空間で過ごしてもらうという事です」
「それで、生きなおすというのは、そこでただ生きていればいい、ということですか?」
「基本的にはそうです。ですが、そこにひとつ条件があります。タンノさんは今回、この場所に『緊急』で来られました。それは、事件や事故などの外的な要因で死んだ、という事ですが、そうではなく、寿命か寿命と同等の病気による死を迎える事が、生き返るための条件となります」
タンノは小さく肩を落とした。
架空の世界で何十年も死ぬまで過ごさないといけないのか。
「気が遠くなりそうですね」
ため息を混じらせてタンノは吐いた。
しかし、相沢はなんともないように言ってみせる。
「そうでもないと思いますよ。その世界に入ってしまえばほとんど現実と変わらないですし、そもそも現実だってつじつまが合っているだけで、それが虚の世界か実の世界かなんてあまり気にしないじゃないですか」
なんか、映画みたいですね、とタンノが小さい声で言うと、映画は詳しくないのでわかりませんが……、と相沢は返した。
「それが、生き返るための条件です。生きなおす事、命をまっとうする事。これを言うのはあまり正しくないのかも知れませんが、リタイアすることも可能です」
「その世界で自殺する、ということですか?」
「そうです、その通りです。しかし、そこにも現実と全く同様の痛みとか恐怖、出血などの肉体的な喪失は発生します。相応の覚悟が必要になるでしょう。またその場合、復活の条件が満たせていないので、その後は永久に死ぬことになります」
「その条件をクリアすれば、必ず生き返る事ができるんですか?」
「はい、必ず一度は復活します」
「一度は、というのはどういう意味ですか?」
「はい、こちらについてご説明させていただきます。条件を満たされて肉体が復活を遂げても、その先の状態については保証が出来ません。現在、タンノさんは出血多量で心肺停止状態です。ここから復活しても、場合によっては数分後、数時間後、数日後にふたたび死んでしまうかもしれませんし、命がつながったとしても後遺症が残ったり身体が動かせなくなったり、寝たきりで過ごさなければならなくなったりするかもしれません。こちらに関しましては、タンノさんが持つ肉体の強さ、丈夫さに起因しますので、私たちの方で何かを施すという事はしませんし、出来ないのです」
「何十年も虚の空間で過ごした後、すぐに現実の世界で死んでしまうということも……」
「可能性としてはあります。申し訳ありません、今お伝えしたことは少し大げさに聴こえたかもしれませんが、回復して不自由無く生きられる可能性も十分にあります」
タンノは歯ぎしりのように、手のひらを指で擦り続けた。
頭の中で氾濫する想像を無理矢理にせき止めて、ぐっと顔を上げる。
「お願いします、生き返る方向で」
それしかないのだ、とタンノは自分に言い聞かせる。
相沢はタンノと少しの間目を合わせると、わかりました、と言って持っていた書類を机の上に置いて立ち上がった。
「それでは、こちらへどうぞ」
(続)
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