2013.11.14

余命一日の夢

 ついにこの日が来てしまった、と目覚めたばかりの重い頭で健太は思う。

 

 今日は医者から宣告された、余命最後の日だった。頭の中にある腫瘍が増殖して、どこかの機能が蝕まれて死んでしまうらしい。頭の中のどの部分にそれがあるのか、医者は詳しく教えてくれなかった。健太自身、頭や身体に痛みや変化などの症状を感じておらず、外から見ても健康的な普通の少年だった。それでも医者が言うには、健太の命は今日までとのことだった。日常生活に支障がないということもあり、健太の希望で最期の日まで自宅で過ごすことにしていた。


 普段と変わらない生活をしているのに、余命が着実に短くなっていく。昨日までは本当に自分が死んでしまうのか信じられないままで、ずっと現実味がなかった。しかし今朝ベッドの上で目を覚ましてから、死への不安や恐怖が堰を切ったように胸のあたりに溢れてきた。


 健太は一緒に寝ていた犬を抱きしめて、胸の中で撫で回した。今日で俺はいなくなる、会えなくなっちゃうんだよ、わかるか、と言いながら涙をこぼした。犬は首を傾げて健太を不思議そうに見つめ、傷口を舐めるみたいに涙を舌で拭った。

 わからないよな、俺は死ぬんだよ、死んじゃうんだよ、でも、わからないよな、きっと、と言って犬の身体に顔を擦り付けると、滑らかな黄金の毛が健太の涙を吸い込んでいった。


 こいつはいつ、俺の死に気付くのだろう、と健太は思う。きっと死というものはわからないだろうから、この日を境にただいなくなって、ずっと帰って来ないままで、それで、いつ俺が死んだということを把握するのだろうか。こいつ自身が死ぬときに、そういえばあの人はあの日以来姿を見せなかったな、と思うだけなのだろうか。きょとんとした犬の顔を見ていると、死を伝えられない悲しさが水脈を掘り当てたみたいに滾々と溢れ続けた。


 医者の宣告では、命は今日までということだったが、今日のいつなのだろうか。そして、どのようにして死が訪れるのだろうか。悲しさが恐怖と混ざり合って、喉のあたりがぐるぐると震えた。


 健太は犬を抱いたままリビングに行き、病院に行きたいということを母親に伝えた。涙で崩れた健太の顔を見ても、母親は動じることはなかった。


 あら、どうしたの、最期まで家のベッドで眠りたいって言ってたじゃないの、どうしたの、と母親は言う。健太が、どのように死ぬのか分からず恐いのだ、と言うと、そうね、と言って母親は納得した。


 病院に電話してみるね、と言って母親が部屋を出ると、健太は犬を抱えたまま一人になった。今日死ぬ、死にたくない、死ぬ、死にたくない、今日のいつ、どんな風に死ぬのだろう、死にたくない、こわい、死にたくない、と頭の中で叫びながら犬を強く抱きしめた。強く目をつぶって涙を絞り出し、薄目を開けて母親を待った。待っている間に、その部屋が自宅のリビングと全くの違うことに気付き、今いる世界が夢であることに気が付いた。


 健太は現実の自分に向けて呼びかける。夢だ、目を覚ますんだ、死ななくて済むんだ、身体を動かせ、起きろ、目を覚ませ、良かった、本当によかった、起きろ、目を覚ませ。

 
 

 結露した窓の向こうに白い空が見えた。時間が現実的に流れているのを感じたとき、良かった、夢だった、と健太はぼんやりと安心した。少しの間、窓の外の白色を眺めながら、夢の内容を丁寧に思い出して頭の中に記憶した。足元でまだ眠っている犬を両手で持ち上げて、抱き枕みたいに抱きしめる。眠りの途中だった犬は迷惑そうに大きなあくびをして見せた。健太は犬のお腹に自分の鼻を押し当てて匂いを嗅ぎ、よかった、ともう一度思った。


 でも、と健太は思う。


 悲しかった、死ぬ事よりも、死をわかってもらえないままいなくなる事の方が、どんなに寂しくて悲しいことか、思い知った、今まで、想像もしなかった、今までよりも少しだけ、大切に生きていこう、少なくとも、こいつが死んでしまうまでは。


 そう思いながら、健太は犬を抱いたまま再び眠りについた。

 

 

 

(終)