2013.09.30
甘酸っぱい飴と、苦い雨
「せきやさんには、これあげるね」
麻由子ちゃんはそう言ってわたしに飴をくれた。
飴はイチゴミルク味で、丸くて三角のやつ。
ありがとう、と言って包みを取って飴を口の中にころん、と入れる。
べろの上で転がすとだんだん飴が溶けてきて、すっぱくて甘い味がしてくる。
「せきやさん、親ってどう思う?」
「親? 親がどうかしたの?」
「うーん、ちょっとね」
麻由子ちゃんは同い年で、まだ小学校四年生なのに大人っぽかった。
二年生の春に転校してきて、そこで同じクラスになって遊ぶようになった。
転校生っていうのは、なんだかみんな大人っぽく見える。
遠くから旅をしていろんなものを見て来たような気がする。
「親のせいでさ、わたし、また転校しちゃうかも」
「そうなの? いつ?」
「わからない。でも、そろそろ、近いうちにするから、気持ちの用意しておいてって言われた」
麻由子ちゃんは風で揺れるブランコの方を見ながら、空気に話しかけるみたいに言った。
そして、空気に笑いかけるみたいに笑う。
「気持ちの用意なんて、もうしなくていいよね。だって三回目だよ? 慣れちゃったもんね。こうやって、短い期間を転々として、わたしの人生は終わって行くのかな、って思っちゃう」
「わたしの人生……」
わたしは考えも無く、麻由子ちゃんの言葉を繰り返した。
「わたしの人生」なんて言葉、自分からは絶対に出てこない。
やっぱり、麻由子ちゃんは大人なんだ、と思った。
「せきやさん、どうしたの。空気に向かって喋ってるみたい」
麻由子ちゃんはわたしを見てきょとんとして、それから笑った。
声を上げて麻由子ちゃんが笑うので、わたしも恥ずかしくなって笑った。
灰色の空から雨がぽつぽつと落ちて来た。
「降って来た、帰らなきゃ」
「待って!」
麻由子ちゃんはわたしの肩を掴んで引き止めた。
細い指が力強くて少し痛くて、怖かった。
雨はたしたしと公園中に降り始めた。
「どうしたの、濡れちゃうよ」
わたしは手で傘を作るようにして頭を雨粒から守る。
口の中で甘く転がっていた飴はいつのまにか溶けてなくなっていた。
麻由子ちゃんが飴を取り出して、わたしの口に押し込む。
「何? ありがとう」
困惑しながらも、お礼を言った。
べろの上で転がすと、じんわりと味が染み出て来る。
「味、してきた?」
麻由子ちゃんのさらさらとした髪の毛が濡れていた。
わたしはうん、と頷く。
「ちょうだい」
麻由子ちゃんが口を開ける。
「これ?」
わたしは自分の口を指差して聞く。
「うん、それ」
麻由子ちゃんは笑う。
嬉しい楽しいとかいう笑いじゃなくて、おいしいものを食べた時につい顔がニヤけてしまうみたいな、そんな笑顔だった。
わたしは、なんか汚いな、と思いながら口から飴を取り出そうとする。
「手、使っちゃダメ!」
麻由子ちゃんはわたしの手首をぎゅっと掴む。
この細い身体の、細い腕の、細い指のどこからこんな力が出るのか不思議なほど、手首はきつく締め付けられた。
わたしはまた怖くなって、麻由子ちゃんの言う通りにした。
歯で飴を噛んで支えて、猿が笑うみたいな口の形をして突き出した。
麻由子ちゃんはもう笑ってない顔を近づけてくる。
かりっというとても小さい音が伝わったとき、くちびるが少し触れた。
わたしはびっくりして顔を引くと、飴は濡れた地面に落ちた。
あーあ、と麻由子ちゃんは言ったけど、心から残念そうにしているわけじゃなかった。
「濡れちゃうよ、じゃあね」
麻由子ちゃんは何事もなかったみたいにあっさりとそう言って、わたしに背を向けて走っていった。
わたしは少しの間、麻由子ちゃんの背中を見た後、地面に落ちた飴を拾って土を払う。
口の中に入れて、甘い味が出て来るまで、苦い雨の味がした。
(終)