2013.09.26
椅子アザラシ
オフィスの椅子が、以前座っていたものの五倍の値段もするものに新調された。
以前使っていた椅子は非常に雑な造りで、背もたれにもたれる度にぎぃぎぃと錆びたドアみたいな音が鳴り、ふわふわなホットケーキのようだったやわらかい座面のクッションは度重なる尻の圧力で圧縮されてせんべいみたいに薄く固くなり、キャスターは融通のきかない老婆のように頑なに滑る事を拒んでいた。
こぼしたコーヒーやラーメンの汁の染みや様々な臭いも染み付いて、鼻を近づけると埃っぽい臭いがした。
元々の造りの悪さと寿命とで、ついに買い替えることになったのだ。
新しい椅子は座る度に、キュ、とか、キュー、とか、キュウ、というアザラシの鳴き声みたいな音がするので、アザラシ椅子と呼んでいた。
座面の高さを調整できる機能がついていて、上下させる時も、キュキュキュキュ、とか、キュイー、という声を発した。
その日、いつも通り出勤し、アザラシ椅子に腰掛けた。買ってきた缶コーヒーをこつんと机の上に置き、コンピュータの電源を入れる。コンピュータが起動する間、トイレに立ち、用を足して帰って来る。
そして再びアザラシ椅子に腰掛けたときに気付く。
アザラシの声が聴こえないのだ。
試しに何回か立ったり座ったりしてみたが、反応はない。椅子を上下させるレバーを操作すると、座面が動かなくなっていた。壊れたのだろうか。何度かレバーを動かしてみるが、一切反応はなかった。
直せるものなのかわからないが、一応、分解して見てみることにした。
座面を取り外し、上下させるためのガスシリンダーを取り外す。ガスシリンダーの中のガスを調整することで座面が上下するようになっているのだが、よく見てみるとそれはガスシリンダーではなかった。ガスシリンダーにはガス調整のためのボタンがついているのだが、そのシリンダーにはついていなかった。
どうやって上下させていたのだろう、と疑問に思う。
シリンダーの先端がネジで留められていて、それを外せば中の構造が見えそうだった。
ネジを回すと、中から透明で赤く、粘り気のある液体が漏れ出てきた。
潤滑油だろうと思い、気にせずネジをはずす。
ネジを外し中を覗いてみるが、暗くてよくわからない。
シリンダーを逆さにして振ってみる。すると、赤い液体とともに椅子アザラシが数匹床に落ちた。
椅子アザラシはすでに死んでいて、もう椅子を上下させる事はできそうになかった。
(終)