2013.12.02
寒い日に、自殺はしたくない。
会社に向かう為に、家を出る。
時間は午前七時五十分。
晴れてるのに空は薄い色をしていて、まだ低い太陽からは棘のような光が伸びる。
冷たくなった地面と凍るような空気の中を、固い靴底で歩いていく。
駅前にそびえ立つマンションに日射しがぶつかって、それがいつも眩しい。
私の視線は、その淡いオレンジ色に輝く壁をのぼって、屋上でぴたりと止まる。
私は、そこに立つ誰かを描く。
その誰かは、自殺をしようとしている。
逃げられない何かから逃げる為に、飛び降りて、死のうとしている。
死んで、個人的な終わりを迎えようとしている。
私はその人を詳細に描く。
描けば描くほど、彼の身体に厳しい寒さが響いてくる。
上空に近いそこは、きっと風が強いだろう。
コンクリートの建物には、ぬくもりなどないだろう。
手や足がかじかんで、はやく暖かいところに行きたいと思うだろう。
足元の先に広がる死の恐怖や、ついに得られる解放感や安堵も、寒さでそれどころではないはずだ。
感情よりも感覚の方が、素直で、直接的で、自立している。
一歩を踏み出せば、それで終わるのに。
ようやくこの状況まで足を運べたのに。
いろいろな決心をして、絶望をして、希望を捨てて、ここまで来たのに。
こんなに寒いなんて。
恐怖のせいなのか寒さのせいなのかわからないまま、足が震える。
イメージしていた景色と違っていた。
もっと落ち着いた心で、迷惑をかけた人々に心から謝罪をしたり、力になってくれた人全員に心から感謝をしたり、ここまで自分を追いつめた物事すべてを憎んだり、そうやって、全身全霊で何かを思っているはずだった。
それなのに頭のなかは、寒い、の一言でいっぱいになる。
私はもうすぐ、屋上から視線を外す。
彼は震えたまま、いつまでも飛び降りずにいる。
駅が近づいて、マンションが視界から消えてしまう。
私は改札を抜けて、ホームに立ち、電車を待つ。
一分もしないうちに電車はやってきて、まだ隙間のある車内に身を収める。
電車が走り出し、体が揺れる。
歩いて発生した体の熱と空調のせいで、額や脇が汗ばんでくる。
ほんのひとときだけ、窓の外にマンションが見える。
そこにはもう、彼はいない。
私にはいつもわからなかった。
彼が飛び降りたのか、それとも飛び降りるのをやめたのか。
いつも、わからなかった。
(終)
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