2013.07.23

第十話 「診察室」

「どうぞおかけください」

 

 医者の男はよく通る声でタンノに椅子をすすめた。

 タンノは息だけで返事をして座る。

 

 机の上にはカルテらしき書類が置いてあった。書類には沢山の文字が書かれていたが、タンノには読むことができない。病院で見るカルテと似ている文字だったので、ドイツ語かもしれない。

 

 まるで病院だ、とタンノは思った。

 

 男はタンノを椅子に座らせた後しばらくの間、書類を指と目でなぞった。

 男は格好の割りに非常に若く、二十歳にもなっていないように見えた。肌は化粧品の広告のように瑞々しく滑らかで、書類に触れる指も繊細な陶磁器のように透き通った白だった。

 胸にバッヂがついており、そこには「相沢秀樹」という名前が書いてある。看護師のような女達にはどこか神秘的な雰囲気があったが、相沢という男はどこから見ても医者にしか見えなかった。

 

「タンノアキラさんですね?」

 

 相沢は確認するように言う。

 その声はやわらかく、タンノを少し安心させた。

 

「はい」

 

 タンノはつばを飲み込んでから応える。

 いろいろなことを訊きたかったが、呼吸を整えて相沢の言葉を待った。

 

「沢山のことが一度に起こってしまって混乱しているかと思いますが、落ち着いて私の話を聞いてください」

 

 いいですか? というふうに、男は夜の海みたいな深い目でタンノを見た。

 タンノは少し圧倒されながら頷く。

 

「ご紹介が遅れました、私、相沢と申します、よろしくお願いいたします」

 

 反射的にタンノも、よろしくお願いします、と頭を下げた。

 訓練されたビジネスマンのような言葉遣いだったが、やわらかい声色のせいか嫌味や堅苦しさはなかった。

 

「この部屋は診療所のようで私は医者の格好をしていてまるで病院のようですが、病院とは全く関係ありません。このような雰囲気で、こういった身なりで話すと、みなさんにわりと落ち着いて話を聴いていただけるので、ご覧のようなかたちになっております」

 

 相沢は施設を紹介するように話す。これから話す本題の衝撃を和らげるために、やわらかい声でクッションを敷き詰めているように聴こえた。

 その効果のおかげで、タンノの気持ちは不思議なくらいに落ち着いていくのがわかった。

 タンノがうなずいて、相沢は言葉を続ける。

 

「それでも、その雰囲気というのもすべての方に効果があるわけではありません。みなさん、肉体的な死を経てここにやってくるので無理もないのですが。タンノさんのように緊急で来られる方は特に、です。説明が前後してしまいましたが、緊急というのは寿命や病気で肉体の死を迎えた方ではなく、事故や事件や怪我で肉体の死を迎えられた方のことを指します」

 

 「肉体の死」という言葉を、タンノは口のなかで反芻した。

 タンノのこわばりを感じたのか、相沢は宥めるように言う。

 

「どうか、固くならないでください。ここでは冷静な判断が必要になりますので、なるべく落ち着いていただきたいのです。これからお話する内容には、タンノさんにとって刺激の強い言葉も出てきます。深呼吸などをして、なんとかご自身を保ってください」

 

 タンノは、わかりました、と言って息を大きく吸い、背筋を伸ばした。

 

「素晴らしい精神力ですね」

 

 相沢は少し関心したように言う。

 タンノは何も言わず小さく頷いた。

 

「それでは、本題に入りましょう」

 

 

 

 

(続)