2013.07.17

硬貨さん

こんにちは、チュン小鳥こと小鳥チュンです。

 

夏バテです…。

何をするにも動きが鈍くなる季節ですね。

 

そんな夏の暑さを吹き飛ばすような本日のインタビュ─は硬貨のみなさんです!

何年も前からその小さな体で日本を支えてきた強靭な彼ら。

すり減ることもなく、削れることもなく、ひたすらに人から人へ渡っていく。

その姿はまさにロ─カルネットワ─クの象徴。

その存在を知らない者は誰ひとりいないという知名度120%の硬貨さん達。

決してくじけることのない精神と鋼の肉体の裏にある素顔をひんむいていきたいと思います。

 

 

1

(無言でこちらを見つめる硬貨さんたち)

 

 

─どうも、こんにちは! 

 本日はよろしくお願いいたします!

 

よろしくお願いします。

本日はお声をかけていただき、ありがとうございます。

 

─こちらこそお忙しい中、すみません。

 本日メインでお話していただけるのは、500円硬貨さんですか?

 

はい、私がつとめさせていただきます。

他の方も、ちょこちょこ口を挟む感じでお願いします。

(うなずく一同

 

─それでは、早速質問させていただきたいと思います。

 まず、硬貨とは何なのか。教えていただけますでしょうか。

 

いきなり直球な質問ですね。

そうですね、まぁご存知かとは思いますが、我々硬貨、というか貨幣は、ただのデ─タのようなものです。

本日の話は日本国内に限定しますが、北海道にある100円も沖縄にある100円も、価値は変わりません。

物質としては全く別のものなのに、存在としては同じなのです。

自分たちの中でも、自分とは何なのか、どれが自分なのかわからなくなることがあります。

 

─どういった時に、わからなくなるのでしょうか。

 

例えば、私は500円硬貨ですが、100円硬貨が5枚集まれば、それは私と同じ価値になります。

そんな時に、自分たち硬貨はかりそめの存在なのだと感じるのです。

ただの価値を可視化するための代用品と言いますか。

金額を現すための輪郭と言いますか。

結構、空しく感じることが多いですね。

 

─ほんとうは自分たちはいらなくてもいいのではないかと、思ったりするのでしょうか。

 

そうですね、硬貨そのものに価値があるのではなく、そこに付与されたものに価値があるので。

その証拠に、500円硬貨の私を作るのに一枚約30円と言われています。

 

─500円で10枚以上500円硬貨が作れちゃいますね。

 

そうなんです。

でも、何故わたしたちがその額面の価値を維持できてるかというと、

それは人間のみなさんがそう思ってくれているからです。

それだけなのです。

この世から人間がいなくなったら、硬貨など何の役にも立ちません。

我々もそういう意味では生き物に近いのかもしれませんね。

有機的な存在なのかもしれません。

人間の意識があって初めて意味のあるものになる。

みなさんの意識が我々のエンジンになってると言ってもいいかもしれません。

 

─なかなか難しい話ですね。

 

500円玉が道ばたに落ちてたら拾うじゃないですか。

でも、原価30円の同じ作りのメダルが落ちてても見向きもしません。

物理的な世界だけを見ていると、とても不思議です。

物質としては同じものが置いてあるのに、その反応が違う。

もしかしたら、恋愛に似ているかもしれませんね。

 

 

3

(まっすぐにこちらを見て語る500円硬貨氏)

 

 

恋愛ですか。

 

はい、人間も、みんな同じ素材で似たような姿形をしています。

物理的には同じものです。

まあ、それは生物自体が種族のコピーであるからそうなのですが。

でも、みんな同じ素材でできているのに、全員に恋したりしませんよね?

特定の相手だけに恋をしたり、愛したりします。

 

─そうですね。

 

それはやっぱり意識を通したときに、なんらかの価値が付与されているのだと思います。

そういった恋愛的なものは、個々の意識を通してみたときに個別に発生する価値ですが、

我々硬貨の価値は社会全体の共通認識としてあるので、一定の見方をされます。

見る人によって差があるかないかの違いだけで、付与されてる感覚は恋愛とそう遠くないと、思います。

 

─なるほど。

 確かに、そう言えるかもしれませんね。

 

他の人から見たらゴミみたいなものでも、必要な人からしたら大切なものだったりしますよね。

硬貨も、人間以外の生き物からすれば何の役にも立たないものです。

でも人間には必要なもの。

なので、なんと言いいますか……。

人間がいなければ我々には価値がないので、そういうところで少し寂しかったりします。

我々の中身にはほんとうは何もないのが、空しい気がします。

という話です。

 

─でも、必要とされているのであれば、寂しくはないのでなないでしょうか。

 大切に扱ってもらってると思っていますし。

 

我々は、愛されるよりも愛したいのです。

 

─KinKi Kidsですか?

 

そうです。

大切にされているのはわかります。

でもそれは、私たち一つの硬貨を大切にしているのではなく価値を大切にしているのです。

冒頭にも話しましたが、北海道の100円玉も沖縄の100円玉も同じです。

でも、個々の物質は違うのです!

(うなずく一同

 

─個々の物質として、大切にしてほしい、ということでしょうか。

 

その通りです。

例えば、「俺の持ってる500円玉とおまえの持ってる500円玉交換してくれ」と言われたらどうしますか?

交換しますよね。

その時に、「イヤ!この500円玉はすごく大切にしてるものだから交換できない!」という感じに言われたいのです。

 

─なるほど。

 個としての自分を見てほしい、ということなのですね。

 

そうです。

そうすれば、我々もその人を愛することができると思うのです。

我々が誰かを愛しても、相手には届きません。

いろんな人の手の中で転がされて終わりです。

しかも、我々の寿命は気が遠くなるほど長い。

 

─そうですね。

 何かよほどのことが無い限り、使用できますね。

 

死ねないというのも、なかなかつらいものです。

その点、紙幣の方々なんかはいいですよね。

簡単にちぎれますし、水にも弱い。

やっぱり弱いものの方が大切にされるじゃないですか。

女子供を守るみたいに。

あれもちょっと羨ましいんですよね。

 

─そんなに大切にされたいんですか。

 

はい、それはもう。

溶けるくらいまで大切にしてほしいですね。

骨がトロトロになるまで。

 

 

2

(恋に恋しているといった表情の硬貨氏) 

 

 

─わかりました。

 なんだか硬貨さんの愛されたい論で時間がきてしまいましたが、質問にまいりたいと思います。

 

はっ…すみません。

 

─ズバリ、硬貨さんの幸せな時間とは?

 

同期と偶然出会うときですかね。

同じ日に作られた硬貨と何年も時を経て再会するときがあるのですが、

その時、幸せです。

おまえ生きてたのか、元気でやってたのか、と。

 

─そういったこともあるんですね。

 それでは、悲しいときは?

 

誰にも見つけられない場所に放置されたときですね。

よくある自動販売機の下とか、ああいった暗いところに一人でいると、孤独で死にたくなります。

虫とかいたり、泥とか雨とかにあたったりして最悪です。

もっともっと大切にしてほしいです。

 

─落とした人も悲しいですね。

 それでは、将来の夢は?

 

我々のいない世界を見ることですね。

もうすでに我々は消えかかっているのです。

電子マネーとか、ネットバンキングとか、そういったものに置き換えられてる。

冒頭にも言いましたが、ほんとうにデ─タなのです。

もし物質としての我々が消えて、データだけでしか扱わなくなったら、我々のお役御免です。

切なくて寂しいですが、我々が望むのはそういった世界です。

 

─もしかしたら、そういった世界が未来に来た時、硬貨さんを大切にしてくれる人が増えるかもしれませんね。

 ギザギザの10円玉みたいな感じで。

 

そうです、よくわかってらっしゃる。

古いお金というのは往々にして大切にされがちです。

我々はそういうポジションを狙っているのです。

 

─本当に大切にされたいんですね…。

 幼い頃に何か家庭環境で問題とかあったんですか?

 

いや、特にそういうのはないのですが。

なんででしょうか。

愛されたくてたまらんのです。

 

─そうですか…。

 それでは、生まれ変われるなら何になりたいですか?

 

コンソメですね。

もうお湯に溶けちゃいたいです。

 

─読んでる方に一言お願いします。

 

お財布の中の彼らと一緒に寝たり、キスとかしてあげてください。

 

─日本中の硬貨の方に一言。

 

今日も固くなっていきましょう。

 

─ありがとうございました!

 

ありがとうございました!

 

 

4

 (500円玉「はーつかれた」他の硬貨さん「……。」)