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	<title>inner-clique &#187; 柴崎件</title>
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	<description>内側の人々がひっそりと光る場所。</description>
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		<title>第三十三話　「融解4」</title>
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		<comments>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3930#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 03 Dec 2013 03:00:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[「一緒に寝る」 &#160; 　タンノは確認するように、口の中だけで言う。 　それは彼女に向けての質問でも疑問 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>「一緒に寝る」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは確認するように、口の中だけで言う。</p>
<p>　それは彼女に向けての質問でも疑問でも、肯定でも否定でもなかった。</p>
<p>　カオリはタンノの言葉を無視し、土を掘る犬みたいにもぞもぞと掛け布団の中に入って、身体をなじませるように体勢を整える。タンノに背を向ける格好で横になると、枕にやわらかい髪の毛がさらさらと垂れるのが見えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは指先一つ動かす事ができないまま、重力に従う彼女の後ろ髪を眺めていた。</p>
<p>　幾重にも交差して散らばる髪の毛の一本一本を視線でなぞり、そのカーブや光の反射から触り心地を想像した。</p>
<p>　撫でたらきっと、指の間を滑るように通り抜けていくだろう。</p>
<p>　瞬きをせずに見つめながら、タンノは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリはタンノに背を向けたまま何度か呼吸をした後、少しも動かなくなってしまった。呼吸や心臓の鼓動さえも感じられないほど、正確に静止していた。</p>
<p>　時間の無い宇宙に放り出されたみたいに、二人はどちらとも動かなくなった。タンノは微かに動くだけで、その宇宙のバランスが崩れて元に戻れないような気がしていた。</p>
<p>　タンノにはカオリが目を開けているのか閉じているのかさえもわからない。</p>
<p>　タンノは視線だけを動かして、彼女の後頭部と、テーブルのコップと、自分の指先を交互に見ていた。時間を過ごす事で目の前の状況が解決することは決してないが、自分がどのような行動をとっても間違いになるような気がした。彼女に何か声をかけることも、言葉の通りに一緒に寝る事も、ここから逃げ出すことも、どの選択肢もしてはいけない事だと思った。</p>
<p>　もしかしたら彼女に対する自分の行動に正解などないのかもしれない、とふと思い、きっとそうなのだろう、と納得した。</p>
<p>　それからタンノはどこでもない空中を眺めた。</p>
<p>　ほんの少し考えるのをやめて時間を過ごそうとおもったが、蛍光灯の音や冷蔵庫の唸りや彼女の気配や匂いが蓋の無い器官から入り込んでくるのがわかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　どうすればいいだろう、彼女を無理矢理にでも帰せばいいのだろうか。</p>
<p>　それとも彼女の言葉の通り、一緒に寝ればいいのだろうか。</p>
<p>　彼女は、最後に、と言った。</p>
<p>　最後に、一緒に寝ない？　と。</p>
<p>　もし一緒に寝てしまったら、もう現れないのだろうか。</p>
<p>　もしそうならば、それはしてはいけない気がする。</p>
<p>　きっとこの世界では、俺にとって彼女の存在が必要なのだ。</p>
<p>　この世界での俺を支えてくれていた唯一の人物なのだ。</p>
<p>　いなくなられたら、多分、俺は一人になってしまう。</p>
<p>　元の世界とこの世界との明らかな差異である彼女の存在が、俺の存在を明確にしてくれる。</p>
<p>　この世界の住人ではないということを証明し続けなければ、俺はきっとこの世界になじんでしまう。そして、この世界で生きる事が本当の人生になってしまうだろう。</p>
<p>　だから、それを防ぐ為にも、彼女が必要なのだ。</p>
<p>　でも、だからと言って、今の俺に何ができるのだろう。</p>
<p>　何をするのが正しいのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　空中に散らばる蛍光灯の光を眺めながらタンノは考えたが、答えはどこにも見つからなかった。</p>
<p>　いつの間にか丸くなっていた背中を正そうとしたとき、ねじを巻かれたみたいに急にカオリが顔をこちらに向けた。</p>
<p>　タンノは小さく驚いて、カオリに目を合わせる。</p>
<p>　カオリは太陽が沈むみたいな遅さで、ゆっくりと瞬きをした。</p>
<p>　長い瞬きの間、タンノの周りから音が消えていた。</p>
<p>　瞬きを終えて眠りから覚めたように目を開くと、彼女は少し笑いながら枕に頭を軽く擦り付けて言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「タンノ君の匂いだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　花の匂いを嗅ぐみたいに、カオリはタンノの匂いを鼻の奥や肺の中に取り込んだ。</p>
<p>　薄い笑顔を保ったまま、カオリは震える声で言った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「わたし、タンノ君のこと、ほんとうに好きだったんだよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　喉が震えて、笑った瞳から大粒の雫がこぼれ落ちる。</p>
<p>　タンノは彼女の濡れた視線と目を合わせながら息を飲んだ。</p>
<p>　カオリは隠れるように布団をかぶり、身体を震わせた。</p>
<p>　タンノの探していた答が、彼女の涙によって導かれた気がした。</p>
<p>　タンノは考えるのをやめて、彼女の隣に潜り込み、微かな力で抱きしめた。</p>
<p>　腕に、彼女の骨がやわらかくぶつかる。</p>
<p>　鼻先にある髪の毛からカオリの匂いが頭の奥に広がると、これで良かったのだ、とタンノは思った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いつまでも続く涙とささやかな嗚咽を胸に感じながら、壊れてしまわないように、タンノは彼女をただ柔らかく抱きしめていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>第三十二話　「融解3」</title>
		<link>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3787</link>
		<comments>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3787#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 26 Nov 2013 03:00:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; 　カオリの放った言葉が周りの空気を奪っていくみたいに、タンノの呼吸はほんの少し停止した。 　喉の [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリの放った言葉が周りの空気を奪っていくみたいに、タンノの呼吸はほんの少し停止した。</p>
<p>　喉の奥が干上がるように乾いてしまい、タンノはなけなしの空気とともに唾を飲み込む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そうなのか」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　否定をするか、さらに質問を重ねるか、短い時間の中で迷った末、一度受け入れる事にした。</p>
<p>　彼女の言葉だけが、この世界での自分を示している。</p>
<p>　タンノはそう思って、咀嚼するように頷いてみせた。</p>
<p>　カオリは記憶の中の物語を読み上げるみたいに、坦々と話し始めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「半年くらい前に、わたしとタンノ君は出会った。あなたはとても酔っ払っていて、道ばたで眠っていたの。わたしはそれを家に帰る途中に見つけて、声をかけた。まだ冬だったから、放っておいたら死んじゃうと思って。そうしたら、タンノ君はわたしの肩を掴んで急に泣き出して、わたしはやばいなと思ったけど、放っておけなかったから、どうしたんですかって聞いたら、好きだった人が忘れられないとか、親友に奪われたとか、絶対に俺の方が好きだったとか、こんなの間違ってるとか、そんな風に、何年も前のことをいつまでも女々しくこぼしてた。本当に、こんな情けない年上の人を見たのは初めてだと思った」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　身に覚えのない濡れ衣を着せられた気がして反論したかったが、タンノは口をつぐんでその続きを待った。それに、元の世界では酔っ払って道で寝るなどありえないことだったが、この世界の自分なら、もしかしたらしてしまうかもしれないと思えた。</p>
<p>　タンノは少しずつ、この現実での自分を理解し始めていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「それで、その場で愚痴を聞いていたけどいつまでも話が終わらなくて、わたしも寒くて帰りたかったから、タンノ君の家まで送る事にしたの。家に向かう間も、あなたはわたしの手を握って、いつまでも彼女のことについて話していた。最低な気分だった、声なんかかけるんじゃないと思った、すっごくお酒臭かったし、でも、見殺しにして死なれるよりはいいかと思って、それでタンノ君の家まで行ったの」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリはそこで言葉を区切った。</p>
<p>　支えていた子供の自転車から手を離すように、あとは自分で漕ぎなさいというように。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そこで、僕は君を襲ったのか」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　罪を認めるようにタンノは言う。</p>
<p>　もちろん、そんなことはしていないし、するはずもない。しかし、この世界での彼を理解すればするほど、痛いほどその心の動きを感じることができた。自棄になって酒に溺れたり誰かを襲ったりすることなど、この世界では容易にできてしまえるように思えた。</p>
<p>　カオリからの返答が無いまま短い沈黙が生まれて、タンノは彼女に目を向ける。</p>
<p>　カオリは諦めたように目を細くして、タンノを見ていた。視線を逸らす事なく、カオリは小さく首を横に振った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「襲ってなんかいない。襲ったなんて、噓。タンノ君は一人で部屋に入っていったし、わたしは部屋には入らなかった。帰るときに、後で礼をさせてくれって言われて、連絡先を交換しただけ。それで、終わり」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリは息を一つ吐いて、肩を落とす。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「何も覚えてないなんて言うから、どうしようもない噓を吐いて、責めてやろうと思っただけ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリがそう言うと、つられるようにタンノも肩を落とし、何も言わずに視線を下げた。</p>
<p>　テーブルの上にオブジェのように置かれたアイスコーヒーの氷はほとんど形をなくして、グラスの中に透明な液体の層を作っていた。底に水滴が溜まって、小さな水たまりができている。</p>
<p>　コースターを買おうとしていつも忘れてしまうのを思い出した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「とにかく、それが、僕と君との出会いだったんだね。それから……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノの言葉を遮って、カオリが喋りだす。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「それから何回か会ってデートするようになって、わたしはタンノ君を好きになってタンノ君もわたしのことを好きって言ってくれて、付き合おうってわたしが言ったけど彼女のことが忘れられないって言われて、じゃあ忘れるまで待つって言って待ってたのに、あなたはわたしのことなんか全部忘れてしまったの。ねえ、ひどい話だと思わない？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ほんとうにひどい、と言って、子供が愚図るように、カオリは声を震わせる。</p>
<p>　ほんとうに、ひどい話だ。</p>
<p>　タンノは心の中で同意した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「わたしはもう、必要ないのかな」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　独り言のように言うカオリに、わからない、と心の中で言いながらタンノは首を振った。</p>
<p>　カオリは小さな動作でゆっくりと立ち上がって、ベッドに腰掛ける。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「最後に、一緒に寝ない？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノの目の前に投げ出された正しく折り目のついたスカートから伸びる二本の脚が、見た事のない生き物のように思えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>第三十一話　「融解2」</title>
		<link>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3715</link>
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		<pubDate>Tue, 19 Nov 2013 03:00:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[　カオリの瞳から落下した涙は、どこか見えないところに消えていってしまった。　タンノは否定の意味を込めた沈黙を置 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　カオリの瞳から落下した涙は、どこか見えないところに消えていってしまった。<br />　タンノは否定の意味を込めた沈黙を置いて、カオリの縒れた制服の胸のあたりをぼんやりと眺めた。心臓や呼吸で、彼女の身体がかすかに揺れているのがわかった。</p>
<p>　カオリは手を当てて鼻を啜り、はあっと息を吐く。</p>
<p>　空中を見つめる目は、溶けかけたビー玉のように見えた。</p>
<p>　唾をひとつ飲み込んでから、カオリは言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ねえ、もしかして、その私のいない世界では、タンノ君は佐野真由美さんとうまくやっていたの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリの口から出て来た恋人の名前に、タンノの心臓は固まった。</p>
<p>　タンノが咄嗟にカオリの顔を見ると、彼女の眉はきつく寄せられていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「どうしてその人の名前を知ってるんだ……？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは何も想像する間もなく、カオリに質問していた。</p>
<p>　カオリはそれに応えず、まっすぐにタンノを見据えたまま質問を重ねる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ねえ、いいから答えて、そうなの？　佐野真由美さんと、恋人同士だったりしたの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリは唇を小さく噛む。その表情は悲しみに満ちていたが、タンノにはその悲しみがどこからくるものなのか、少しもわからなかった。</p>
<p><br />「佐野真由美さんとは、恋人同士だったよ。今でも付き合っていて、きっと、俺が元の世界に戻るのを待っている」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一つずつ言葉を置いていくように、タンノは慎重に話した。カオリは視線を落とし、タンノの言葉をすりつぶすように奥歯で歯ぎしりをする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「またそんなこと言ってるの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「また？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またってどういう意味だ？　とタンノは心の中で訊く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「佐野真由美さんはもう、アオキさんのものなんでしょ？　高校の時からずっと付き合ってるんでしょう？　タンノ君が言ってたんじゃない。大好きだけど、忘れなきゃ、諦めなきゃって。それなのに、記憶をなくしたとか、別の世界から来たとか噓まで吐いて、まだ幻を見ようとしてる。ねえ、どうしたら忘れてくれるの？　どうやったら諦めがつくの？　わたしはいつまで待てばいいの？」</p>
<p><br />　カオリは背中を丸めて俯いた。歪なカーブを描いた肩が、小さく震えている。</p>
<p>　タンノは彼女の短く垂れた髪を見ながら、何を言うべきか考えた。目の前で泣いている少女は明らかに傷ついていた。タンノが放つ一つ一つの言葉に血を流しているのがわかった。彼女の言葉とこの世界の状況をつなぎ合わせなくてはいけない、とタンノは思った。</p>
<p><br /><br />　確かに彼女の言う通り、高校時代から真由美とアオキが付き合っていたら、俺は何年経っても真由美を諦めたり忘れたりすることはできなかっただろう。それほど想いを寄せていたし、真由美を欲していた。だからこの世界の俺は、彼らを避けて過ごしていたのだ。今でも二人が付き合っているところを想像してみただけで、腹の中にどす黒い渦がすぐに出来上がる。</p>
<p>　時には真由美と付き合っている夢を見たり想像をしたりして、自分を偽ろうとすることもあるかもしれない。記憶を失ったふりをしたり、あるいは別の世界から来たふりをして、真由美とアオキが恋人同士であるこの世界をすべて否定したかもしれない。</p>
<p>　この世界の俺は、きっとそうやって過ごしてきていたのだ。</p>
<p>　二人が付き合うというのは俺にとって、それだけ衝撃的で絶望的な事なのだ。</p>
<p>　その部分については、なんとなく把握できる気がする。この世界で俺がどうやって過ごしていたのかは、少し感じ取れる。</p>
<p>　しかし、わからないのは目の前で肩を震わせる少女の存在だ。女子高校生と出会うきっかけなど、今までの人生では一つもなかった。それも真由美とアオキが付き合った衝撃の余波だろうか。自棄になってナンパでもしたりしたのだろうか。それはあまり想像がつかない。</p>
<p>　こればかりは、訊いてみないとわかりそうにない。</p>
<p><br /><br />　タンノはいつの間にか手元に落としていた視線をくいっと持ち上げて、カオリに目を向けた。彼女の顔はまだ俯いたままで、タンノからは表情がよく見えなかった。</p>
<p><br />「エンドウカオリさん、僕と君はどこで出会ったのか、どういう関係なのか、教えてくれないか」</p>
<p><br />　小さい針で刺されたみたいに、カオリの身体がピクリと動く。ゆっくりと顔を持ち上げて、少し疲れた目でタンノを見る。</p>
<p><br />「覚えてないなんて言わせないわよ」</p>
<p><br />　責めるようにカオリが言う。</p>
<p><br />「頼むから、教えてくれ」</p>
<p><br />　タンノは怯まずに応じた。まっすぐな目でカオリを見る。フェンシングの切っ先を重ねるみたいに、カオリも視線を伸ばす。</p>
<p><br />「タンノ君、私を襲ったのよ」</p>
<p><br />　視線とともに、カオリはタンノに言葉を突き刺した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>第三十話　「融解」</title>
		<link>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3610</link>
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		<pubDate>Tue, 12 Nov 2013 03:00:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[　汗をかいたアイスコーヒーのグラスを傾けて舐めるように啜ったあと、にがい、と言ってエンドウカオリは舌を出した。 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　汗をかいたアイスコーヒーのグラスを傾けて舐めるように啜ったあと、にがい、と言ってエンドウカオリは舌を出した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ガムシロップ、もうちょっと入れようか？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは自分のグラスを傾けながらカオリに言う。ぶつかる氷の音が、よそよそしく鳴る。</p>
<p>　いらない、と言ってカオリは首を振り、もう一口啜ってみせた。</p>
<p>　木製の低いテーブルを挟んで、エンドウカオリとタンノは座っていた。</p>
<p>　無言の電話が切れたあとすぐにインターホンが鳴り、何も言わずにカオリは部屋に入って来た。瞼は少し腫れていて、何度も鼻を啜った。</p>
<p>　汗ばんだカオリの首筋を眺めながら、タンノは彼女の言葉を待った。自分から何かを口にするべきかもしれないと思ったが、彼女の中にある疑問に答えるのが先だと考えた。</p>
<p>　アイスコーヒーの氷が溶けるかすかな音が響いてくるほど、部屋の中は静まり返っていた。</p>
<p>　グラスに触れるカオリの指を眺めていると、タンノは小さく輝く指輪に気が付いた。首を絞められているときはわからなかったが、淡い黄金の、線の細いシンプルなデザインの指輪が右手の薬指にはめられていた。</p>
<p>　どこかで見覚えのあるものだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「その指輪……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノが不意に口をすべらせる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なに？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　グラスを眺めていたカオリが、視線だけでタンノを見る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「いや、その指輪、良いね、綺麗だ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノの言葉に肩を落として、カオリは溜め息を吐いた。出来の悪い子供にするような、突き放すような溜め息だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「演技ではないのね？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　はめられた指輪を逆の指で弄りながら、カオリが言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「演技？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　棘に刺さらないように、タンノはなるべくやわらかく声を発する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「タンノ君が買ってくれたのよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリは溢れ出そうになる涙を押し込めるように、無理矢理に唾を飲み込んだ。</p>
<p>　カオリの言葉に、タンノは何も返せずにいた。タンノがその指輪に見覚えがあるのは当たり前だった。それは元の世界の恋人である佐野真由美に買った物とほとんど同じ品だったからだ。佐野真由美にプレゼントしたものはピンクゴールドだったが、エンドウカオリの指にあるのは品のある黄金だった。色が少し違うだけで、同じ商品だろうとタンノは思った。</p>
<p>　タンノは自分の指先に視線を落とし、また何を言うべきか考えた。</p>
<p>　カオリは指輪を外して、音を立てずにテーブルの上に置く。</p>
<p>　木目の上に黄金が鈍く光る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なんで記憶が無くなっちゃったの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリは指輪に向かって言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なんでかと言うと……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノがどう話そうか迷っていると、カオリは追い立てるように言葉を重ねた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「いつから記憶が無いの？　わたしのことはもう、全然覚えてないの？　なんでわたしのことは忘れてるのに自分のことは覚えてるの？　自分の名前とか、家とか、仕事とか、会社とか、そんなことは忘れてないんでしょう？　なんでわたしのことだけ忘れてるの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　震える唇を見て、タンノの胸に悲しい棘が刺さる。</p>
<p>　理解されることはないと思いながら、ありのままを話そうとタンノは口を開いた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「僕は、今まで君のいない世界を生きてきたんだ。僕が元々いた世界に君はいなかった。それがとある事情で、今日の午後から、僕はこの世界で生きることになった。だから君の事は忘れるというよりも、最初から何も無いんだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはカオリの目をまっすぐに見つめて、テーブルに身を乗り出して言う。カオリはタンノの瞳の奥に噓を探すように、深く突き刺すみたいな視線を返す。涙で薄く濡れたカオリの瞳を見ていると、タンノは思考はすぐに吸い込まれてしまいそうになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「じゃあ今までわたしと一緒にいたタンノ君はどこに行っちゃったの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「それは……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それは、どこに行ってしまったのだろう。</p>
<p>　どこか別の場所で生きているということはきっと無いだろう。</p>
<p>　俺がこの世界に来る事によって、この世界で生きていた彼の二十数年の人生が消えてしまったのだろうか。</p>
<p>　そんなことは考えもしなかった。</p>
<p>　しかし、この世界は疑似空間で、俺が生き返る為に用意された世界のはずだ。</p>
<p>　だから、今まで生きて来た別の俺がいたとしても、今の俺がその彼に対してできることなどは何一つない。</p>
<p><br /> <br />「わかった」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノが考えを巡らしているうちに、カオリは答を見つけたみたいにして言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「あなたが殺したのね？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　 カオリの瞳から絞ったように涙が落下した。</p>
<p><br /><br /><br /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「空白連鎖」書籍篇（文学フリマサンプル）</title>
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		<pubDate>Wed, 30 Oct 2013 01:00:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>

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		<description><![CDATA[11月4日の文学フリマで販売する書籍の一部です。ウェブで掲載している「空白連鎖」とは別の世界です。でも、タンノ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>11月4日の文学フリマで販売する書籍の一部です。<br />ウェブで掲載している「空白連鎖」とは別の世界です。<br />でも、タンノさんは相変わらず大変です。<br /><br /><br />&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;<br /><br /><br />（一）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　光が瞼の裏側で点滅して、タンノは目を覚ました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　眉間にしわを寄せて薄く開いた目に、睫毛で拡散した輝きが差し込む。電車の窓は一面、黄金に輝いていた。電柱や木が窓を横切る度、不規則な信号を送るみたいに、光が点滅する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは、電車が今どのあたりを走っているのか確認しようとしたが、光によって車内の案内表示は見えなくなっていた。しばらく目を凝らしていたが、やがて諦めて床に目をやった。窓の影が瞬きをするみたいに点滅しながら、ゆっくりと形を変えている。どこらへんだろう、とタンノは豪快なあくびをして思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　不完全な眠りと飽和した光のせいで、タンノの思考はうまく働いていなかった。電車の車両にはタンノの他に乗客はいなかった。乗り込んだ時にはいくらか人が乗っていたが、眠ったり目覚めたりを繰り返して都心から離れていくうちに、客は徐々に少なくなっていった。窓の外にあったビルやマンションなどの建物も消えて、手の付けられていない緑と古びた住宅しか見えなくなっていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　平日の昼間で、本来であればタンノも他のほとんどの人と同じように仕事をしている時間だった。しかし、この日は違っていた。やりたくなかったのだ。やりたくなくなってしまった理由はいくつかあるが、その全てが気分の悪いものだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　自分はこれ以上、この仕事に関わりたくない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはそれだけを言い残してこの電車に乗った。聞いた事のない終点の駅まで行く電車を選んで、空いている車両の座席の端に座り、目を閉じた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　どれくらい乗っただろう？　一時間か、一時間半か、二時間か。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　座り続けているせいで体は痛いし、溢れかえる太陽の光のせいで頭も少し痛かった。タンノは車両に人がいないことを確認してから立ち上がって、大きく伸びをした。固まった筋肉が抵抗するみたいに痛みを放つ。路線図を確認しようとしたが、少し考えてから思い直して、また座席の端に腰を下ろした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　別に、今がどこでもいいか。でも、もう少ししたら帰ろう。帰って何か、別の事をしよう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはいつの間にか慣れてしまった光を眺めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　誰もいない電車はいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう思いながら再び目を閉じて、心地良い揺れに身を任せた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><br /><br /></p>
<p>（二）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　車両のドアが開く音で、タンノの浅い眠りが途切れる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　歯切れの悪いアナウンスのせいで駅の名前がわからなかったが、タンノはとりわけて気にはしなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ドアは開いたが乗る客も降りる客もおらず、辺りはひっそりとしていた。気まずい沈黙をやり過ごすように、ホームも車両も白々しく佇んでいた。車両の軋む音だけが、虫が鳴くみたいに聴こえてきた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　開いたドアからは山がのぞいていた。遠くの方で、聴き覚えのあるノイズが鳴っているのにタンノは気付いた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　海の音だ、とタンノは思う。しかし、目に見えるのは薄い緑の山々とささやかな住宅だけで、海がありそうな雰囲気はなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　風の音がそのように聴こえたのかもしれない。タンノはそう思いながら、座席の横についた手すりの棒に頭を預けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ドアが閉まって電車が動き出すまでの間に、ほんのわずかな静寂が生まれる。その静寂を壊すように、すぐ隣から、ねえ、という声がした。タンノは驚き、小さい悲鳴を上げて振り向く。こじんまりとした瞳と目が合った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さっきまでいなかったはずの少女が足を揺らして座っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なに？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは急発進した心臓の鼓動を隠すように、最小限の返事をした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「これ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少女はそう言って、タンノのズボンのポケットから垂れている携帯電話のストラップを指さした。ストラップはあるアニメのキャラクターのフィギュアだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「これ、ロンロンでしょう？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ロンロン？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「この子、ロンロンじゃないの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少女は首を大げさにかしげてタンノに訊く。短い前髪が日に焼けた額にぱさぱさと揺れる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少女の指差すストラップは、タンノが最近友人になった人物からもらったもので、その友人は、友人になる前は恋人だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ストラップのフィギュアは「コッコちゃん」という、彼女が好きなキャラクターだった。コッコちゃんは猫とクラゲを融合させた不思議な生き物で、猫の爪やクラゲの毒で敵を倒したり、透明になる能力や素早い身のこなしで事件を解決するアニメの主人公だった。タンノ自身はそのアニメについてそれほど興味はなかったが、彼女の影響でそのキャラクターだけは気に入っていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「これはロンロンじゃないよ、コッコちゃんって言うんだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノがストラップを指でつついて言うと、少女は口を尖らせた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「コッコちゃんて、なにそれ、変な名前。絶対ロンロンだよ。コッコちゃんなんて、聞いたことないもん」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「じゃあ見てごらん」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはそう言ってフィギュアの足の裏を少女に見せた。そこにはアニメのロゴである「怪傑！コッコちゃん」の文字の印刷がされているはずだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ほら、やっぱりロンロンだよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少女は噓を見破ったように得意気に言う。そこに印刷されていたのは「怪傑！コッコちゃん」ではなく「名探偵ロンロン」の文字だった。タンノは目を疑い、指でその印刷をなぞった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おかしい。これは何年も前からコッコちゃんだったはずだ。アニメも何回か見た事があるけど、ロンロンなんて聞いたことがない。いつの間にか、誰かにすり替えられてしまったのだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ほんとだ、ロンロンだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは呆然として言う。少女の揺れる足が催眠術の振り子みたいに見えてくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ね、ロンロンでしょ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　かわいい、と言いながら、少女はフィギュアを弄り始めた。いつまで持っているのだろう、とタンノは揺れ続ける少女の膝やすねを眺めて思った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いつまで持っているのだろう、もう別れてから三ヶ月も経つ恋人からの些細なプレゼントを。捨ててしまえばいいのに、でも、捨てるタイミングなんてどこにもなかった。こういう所がダメだったのかもしれない。きっと、ストラップごときどうでもいいと思えているから、いつまでもぷらぷらとつけていられるのだ。どうでもいいと思っていなければ、ちゃんと処理をしているはずなのだ。俺は彼女の事を、彼女がくれた物を、どうでもいいと思っていたのだろうか。少なくとも、大切にはしていなかったのだろう。だから、いなくなったのだ。もっと大切にしてやれていれば、いなくなる事もなかったのに。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　三ヶ月前から繰り返し考えている事が、タンノの頭の中で再び読み上げられる。都合の良い自虐と後悔の痛みが、鎖骨のあたりを絞るように刺激する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ストラップを弄る少女の腕に、タンノの涙が落ちた。少女は驚いてタンノを見る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「どうしたの？　大丈夫？　どこか痛いの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは抑えられないまま、涙を流し続けた。手で顔を覆い、だいじょうぶ、とだけ言った後、声を出さずに泣き続けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　遠ざかっていた電車の走る音が、心配するみたいに近づいてくる。少女はタンノの隣で何も言わず、静かに足を揺らしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　次の駅のアナウンスが鳴る。ゴウダノとかコウザノとかいう名前が耳に入る。降りよう、とタンノは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　シャツの袖を引っ張って涙を拭い、少女の方を見た。少女は眉を落としたまま、心配そうな顔でタンノと目を合わせた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「いる？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは指でストラップをつつきながら言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「くれるの？　大事なものじゃないの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大事なものじゃないの？　と、タンノは頭の中で少女の言葉を繰り返した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「大事なものだけど、大事にできなかったものなんだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう言って、タンノはストラップを外して少女に渡した。少女は不安そうな顔をしていたが、やがて笑顔を作って、ありがとう、と言った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　電車が駅に近づいてきた時、車両の連結のドアが勢い良く開き、中年の女が突進するように向かって来た。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「さなえ、なにやってるの、もう降りるわよ！」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　女は少女の母親らしく、少女の腕を乱暴に引っ張り上げた。少女の手からフィギュアが落下する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「何やってんの、そんなものどこで……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　母親はそう言ってタンノを見た。顔に残った泣き跡を見て気味悪がってか、彼女は無言で視線を逸らし、少女を連れて隣の車両へと戻っていった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　母親が登場してから去るまで、少女とタンノは何を言う隙もなく、去り際にほんの少し目を合わせただけだった。連結のドアが閉まるとタンノは置き去りにされた気持ちになった。床に転がったフィギュアを眺めているうちに、電車が駅に停まってドアが開く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　フィギュアを拾おうか迷っていると、発車のベルが鳴り出した。追い立てられるようにフィギュアを拾い上げて、タンノは電車を降りる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　拾わなければいいのに、こういうところがダメなんだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう思いながら、タンノはフィギュアをズボンのポケットに突っ込んだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　電車が走り出す。誰もいなくなった車両の中で、光はまた点滅を始めた。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />書籍に続く&#8230;。<br />(ブースはB-33です)<br /><br /><br /><br /></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>第二十九話　「抵触」</title>
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		<comments>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3276#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Oct 2013 05:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[　タンノはエンドウカオリの呼吸を胸に感じながら、目に刺さる照明を薄く開いた目で眺めていた。カオリの心地良い重さ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　タンノはエンドウカオリの呼吸を胸に感じながら、目に刺さる照明を薄く開いた目で眺めていた。カオリの心地良い重さと熱を感じているうちに、状況を無視したささやかな微睡みがやってくる。</p>
<p>　瞼を閉じて、重なる心臓の音を聴いた。自分の重く騒がしい鼓動とは逆に、彼女の心臓は寝室のドアをノックするようにやさしく響いていた。</p>
<p>　タンノはカオリに気付かれないように鼻でゆっくりと息を吸って、彼女の匂いを肺の中に取り込んだ。匂いが肺から体内に染み込んでいくのを感じると、禁じられた薬物みたいに脳の中で何かが弾ける感じがした。花びらがそのまま気体になったみたいな匂いだった。</p>
<p>　微睡みが少しずつタンノの思考を奪い、状況から逃げるように意識が落ちかけたとき、カオリは乱暴に身体を引きはがして立ち上がる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「帰る」</p>
<p><br />　タンノに対する全ての興味を失ってしまったみたいに、カオリはそれだけを冷たく吐いた。</p>
<p>　身体に触れていた熱が一瞬で霧散してしまったような気がして、タンノは反射的に呼び止める。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ちょっと待って」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリはタンノの言葉を無視してローファーをこつこつと鳴らし、ドアノブに手をかける。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「上がっていかない？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　女子高生を相手に俺は何を言っているんだろう、とタンノは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なんで？　家に入っちゃいけない約束でしょ？　タンノ君がだめって言ったんじゃない」</p>
<p><br />　カオリは投げ捨てるように言ってドアを開ける。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　約束？</p>
<p>　俺はそんな約束なんか知らない。</p>
<p>　おまえは何を知ってるんだよ。</p>
<p>　教えてくれよ。</p>
<p>　俺は何も知らないんだよ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう思いながら、タンノはカオリの背中に向けて言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「話がしたいんだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノが言い終わる頃にはカオリは玄関を飛び出して、ドアは叩き付けられるように閉められた。</p>
<p>　タンノはその場に座り込んだまま、カオリのぬくもりを剥がすみたいに胸や腹をがりがりと爪で擦った。散乱した靴を眺めながら、固まったように視線が動かなくなってしまった。</p>
<p>　エンドウカオリの髪の毛や輪郭や感触が頭の中で自動的に再現されるのを、タンノはずっと眺めていた。眺めているうちに、さっきまで溢れていた体の中の感情が消滅していくのがわかった。</p>
<p>　タンノは重い動作で立ち上がり、部屋に戻ってベッドに腰をかけた。体がいつもより重く沈み込むような気がした。背中を丸めたまま携帯電話を手に取って、カオリへのメールを打つ。</p>
<p>　全てを正直に、話せることは話そうと思った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『エンドウカオリさん、突然で驚くかもしれないけど、最後まで聞いてください。僕は今日、とある事情で記憶を失ってしまいました。正確に言うと、あなたのいない世界を今まで生きて来て、急にあなたのいるこの世界に連れて来られた、ということなのだけど、記憶をなくしたと言った方がわかりやすいので、そのように捉えてください。</p>
<p>　僕自身、事情や状況がわからない部分もあるのですが、今の僕は、エンドウさんの知っている僕ではありません。全くの別人だと思います。その証拠に、僕はエンドウさんのことを一切知らないし、思い出す記憶も持ち合わせていません。謝るのが正しいのかわかりませんが、こんな事になってしまい、ごめんなさい。</p>
<p>　こんな事に巻き込んでしまいながらこんな事を言うのも厚かましいのだけど、もしよければ、今まであなたが見て来た僕について、教えてくれませんか。僕がどのように生きていて、どうやってあなたと出会い、あなたとはどういう関係だったのか。』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　メールの返事は一分もしないうちに返ってきて、それから何通かやりとりがあった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『いつまでふざけてるの？』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『ふざけてなんかいません、でも、あなたの知っているタンノはもう死んでるんだと思う。』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『バカにしてるの？　それともバカになったの？』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『バカにしてはいないけど、バカになったと思ってもらった方が都合が良いかもしれない。』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『じゃあもう終わりなの？』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>『終わりと言われても、君との間で何が始まっていたかも知らないんだよ。バカにしてるんじゃなく、本当に教えてほしいんだ。』</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのメールのおよそ十分後に、エンドウカオリから電話がかかってくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「もしもし」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノが話しかけるが、カオリは何も言わず、鼻をすする音だけが聞こえてくる。泣いているのだ、とタンノは思う。外にいるのだろう、無言の奥で道路の音が聞こえる。車が通り過ぎる度に、雨が降っているような音が響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「もしもし」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは沈黙の中にもう一度呼びかけた。</p>
<p>　雨に似た車の音に耳を傾けながら、タンノは空白の中に一つの答を見つけ出していた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>第二十八話　「位相」</title>
		<link>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3179</link>
		<comments>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3179#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 08 Oct 2013 03:00:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>

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		<description><![CDATA[　少女の鋭い指先がタンノの喉元にくい込む。 　タンノは少女の手を剥がそうとするが、締め上げる少女の指は壊れてし [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　少女の鋭い指先がタンノの喉元にくい込む。</p>
<p>　タンノは少女の手を剥がそうとするが、締め上げる少女の指は壊れてしまった首輪みたいに固くなって、どうやっても剥がす事が出来なかった。</p>
<p>　呼吸と血液の流れが止まって意識が途絶えそうになったとき、限界のタイミングを見計らったように少女の力が抜ける。</p>
<p>　タンノは反動で思い切り息を飲み込んでしまい、うずくまって咳き込んだ。</p>
<p>　視界がテレビの砂嵐になったみたいに、ざらざらと掠れる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なんで電話に出ないのよ？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　うずくまるタンノに向かって、少女は虎が吠えるみたいに声を荒げた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　電話？</p>
<p>　こいつがさっきから電話をかけてきたエンドウカオリか？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは、ちょっと待ってくれ、と言おうとしたが呼吸が戻らず声が出せなかった。声の代わりに荒い息だけが何度も出た。</p>
<p>　少女に向かって身振りで伝えようとするが、少女はそれを無視してさらにタンノに詰め寄る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「仕事が終わったら映画に行こうって言ってきたのはそっちでしょう？　どうして来てくれないし、電話にも出ないのよ？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少女はタンノの胸ぐらを掴む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画？</p>
<p>　映画の約束をほったらかしただけで、おれは首を絞められたのか？</p>
<p>　そもそもこいつは誰なんだ。</p>
<p>　何故俺はこの人と映画を観る事になっているんだ？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「エンドウカオリ……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはようやく出て来た声で、少女の名前を呼んだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なによ？　変な呼び方しないでよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少女はまだタンノのシャツを掴んだままだ。</p>
<p>　タンノは呼吸を整えながら考える。</p>
<p> <br /><br /></p>
<p>　呼び方……。</p>
<p>　なんだろう、エンドウ、エンドウさん、カオリ、カオリちゃん、カオリさん、カオちゃん、カオリン、カオリさま……。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「エンドウさん……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは恐る恐る呼ぶ。</p>
<p>　下の名前で呼ぶのが正解だと思ったが、初めて見る人間に対して、タンノの中でそれは憚られた。</p>
<p>　少女は予想していた通り、思い切り不機嫌な顔を近づけてくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ねえタンノ君、バカにしてるの？　なんでそんな気持ち悪い呼び方で呼ぶわけ？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　鼻先が触れてしまいそうなくらい近づいたエンドウカオリの肌は、誰にも踏まれていない粉雪みたいに白く美しかった。今までに嗅いだことのない薄甘い匂いがタンノの鼻をくすぐる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「カオリ、でしょう」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エンドウカオリは頭の悪い犬をしつけるようタンノに言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「カオリ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは日本語を覚えたてのアフリカ人のように片言で繰り返した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「それで、なんで今日は約束をすっぽかしたの？　なんで待ち合わせの場所に来なかったの？　なんで電話に出なかったの？　わたし、ドトールで四時間も待ってたんだからね。ちゃんと説明してくれないと、ほんとうに許さないから」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリはいつの間にかタンノに馬乗りになっていて、玄関の照明の逆光のせいでタンノからは表情がよく見えなくなっていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　俺はこの世界で、この女子高生と、どういう関係だったのだろう。</p>
<p>　一緒に映画に行くような仲だとすれば、恋人のようなものなのだろうか。</p>
<p>　犯罪だ。</p>
<p>　この世界の俺は今まで何をやっていたんだろう。</p>
<p>　それにしても……。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにしても、これは、いろいろやばい。</p>
<p>　おなかにエンドウカオリのぬくもりを感じながら、タンノは思った。</p>
<p>　気が緩んだ瞬間、頬に鋭い刺激が走る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ねえ、何ニヤけてるの？　状況わかってる？　タンノ君、わたしにひどいことしたんだよ？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　叩かれた頬がじんわりと熱くなる。</p>
<p>　あまりにも突然の衝撃だったので涙が出そうになった。</p>
<p> <br /><br /></p>
<p>　そうだ、今は変なことを考えている場合じゃない。</p>
<p>　しかし、一体何から話せばいいのだろう。</p>
<p>　映画の事なんか知らないし、君の事なんかも知らない。</p>
<p>　そう正直に言ってしまったら、この子がさらに激昂するのはわかっている。</p>
<p>　でも、表面的に謝罪をしたとしても、納得できる理由も持ち合わせていないし、きっとこの子には見破られてしまう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　どうしたものか、とタンノが言い淀んでいると、さっきまでの激しい口調を裏返したようにがらりと変えて、カオリが言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ねえ、何かあったの？　もしかして、わたしのこと、どうでも良くなった？　イヤになった？　キライになった？　そんなことないよね？　お願いだから、そういうのだけはやめてね、お願いだから……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　カオリは力なくタンノの胸を叩いたあと、覆い被さるように抱きついた。</p>
<p>　彼女の肩が小さく震えているのが伝わってくる。漆黒の柔らかい髪の毛が、さっきまで熱を帯びていたタンノの頬に触れる。まだ少しだけ幼いカオリの鎖骨がタンノの身体に重なる。</p>
<p>　タンノは高校時代を思い出した。</p>
<p>　初めて真由美を抱きしめたときも、確かこんな感じだった。</p>
<p>　小さくて細くて、同じように震えていた。</p>
<p>　エンドウカオリが何者なのか、どういう関係なのかもわからないまま、タンノの中に愛おしさが溢れてきた。</p>
<p>　タンノは何も言わず、カオリの頭を撫でる。</p>
<p>　髪はすり抜けるようにタンノの指と指の間に流れてくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いろいろ、やばい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう思いながら、タンノは玄関で仰向けになったままエンドウカオリを抱きしめた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>第二十七話　「遭遇」</title>
		<link>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3060</link>
		<comments>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/3060#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 01 Oct 2013 03:00:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[　タンノは手の中で光る「エンドウカオリ」の文字を見つめた。 　伝わってくる着信の振動が、不吉な生き物のいびきみ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　タンノは手の中で光る「エンドウカオリ」の文字を見つめた。</p>
<p>　伝わってくる着信の振動が、不吉な生き物のいびきみたいに響いてくる。</p>
<p>　この生き物を起こしてはいけない、と思いながら頭の中で話しかけた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　誰だ？</p>
<p>　エンドウカオリ、何の用だ？</p>
<p>　俺はあんたなんか知らないぞ。</p>
<p>　あんたは俺の事を知ってるのか？</p>
<p>　電話に出たら教えてくれるのか？</p>
<p>　俺はもう、恐いのだ。</p>
<p>　あまりにも自然に変わってしまったこの世界が。</p>
<p>　とにかく俺は帰りたい。</p>
<p>　そうだ、帰ろう。</p>
<p>　とりあえず家に帰ってみよう。</p>
<p>　帰ってシャワーを浴びて、横になろう。</p>
<p>　そういえば今日は日曜日だった。</p>
<p>　もっとゆったり過ごしてるはずなのだ。</p>
<p>　日曜日はいつも……。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　日曜日はいつも真由美と夕飯を食べていた、その事を思い出すと、また内臓が消えたみたいに体の中が寂しくなった。</p>
<p>　携帯電話はいつの間にか震えるのを止めていて、指先に振動の残骸だけが残っていた。</p>
<p>　ズボンのポケットに隠すように携帯電話を戻して、タンノは静かに歩き出した。</p>
<p>　自分の存在が薄くなって軽くなってしまったような気分だった。</p>
<p>　帰り際、ポストに書かれた「佐野」の文字を一瞥する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　何を思えばいいのだろう？</p>
<p>　悲しい？　辛い？　寂しい？　悔しい？　苦しい？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　種類としてはそれらに似ているが、感情の正確な正体がわからなかった。</p>
<p>　恋人でなくなってしまった真由美を目の当たりにして、それは辛かった。辛くて寂しいことだった。</p>
<p>　しかし、変わってしまった真由美はあまりにも自然で現実的で、今までの自分が間違っているようにさえ思えた。</p>
<p>　リアルな夢ではなく、リアルな現実を見ているのだ、とタンノは思った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この世界では自分の方が間違っている、そう思うほか無い。</p>
<p>　もしかしたらこの現実になじんでいく事が、この世界でスムーズに生きていく方法なのかもしれない。元の現実とこの現実との差異を明確にしなければならないと思っていたが、それを感じながら生きていくにはあまりにも厳しすぎる。</p>
<p>　元の世界は元の世界として、今のこの世界はこの世界として、全く別のものと考えるべきなのだ。ほとんどのものが元の世界と変わらないから、少し解釈を間違えていたのかもしれない。きっとそうだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは強引に心を落ち着かせた。</p>
<p>　しかし、今の状況を慰めるには、十分な考えだった。</p>
<p>　タンノはアオキについて思い出した。</p>
<p>　アオキが生きていることについても、どう思えば良いかわからなかった。</p>
<p>　死んだ友人が生きていて、それが自分の恋人と付き合ってるという状況に遭った人間は、自分の他にいないだろう。</p>
<p>　ただ少しだけ、心が懐かしくなったのは確かだった。彼が生きていて今何をしているのか、どのような人生を送りどのような人間になっているのか気になった。</p>
<p>　タンノはふと思いついて、携帯電話で実家に電話をかける。</p>
<p>　呼び出しから間もなく、母親の声が聞こえた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なに？　どうしたの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　母親がこの世界でも変わらず存在していることに、タンノはとりあえず安心した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ごめん。ちょっと、送ってもらいたいものがあって。高校の卒業アルバムなんだけど、屋根裏部屋にしまってあるやつ。あれちょっと送ってくれないかな？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「卒業アルバムなんて何に使うのよ。屋根裏のどこにあるの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「手前の方にある段ボールに入ってると思う、多分」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ふうん、わかりました。急ぎなの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「別に急ぎではないけど、ちょっと必要で」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「あんた、そんなに遠いわけじゃないんだから取りに来たらいいじゃないのよ。ごはんも食べていけばいいし、たまには顔見せなさい」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「はい、うん、わかった。わかったわかった」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いつもなら鬱陶しいだけの母親の小言も、タンノには嬉しく感じられた。</p>
<p>　電話を切った後、実家の方は何も変わっていないのだろうと思って、小さく頷いた。</p>
<p>　アオキが死んでいないのなら、卒業アルバムにも彼が生きてる人間として写っているはずだ。あの事故がほんとうに真由美の言う通りで、アオキがほんとうに死んでいないのかを確かめたかった。</p>
<p>　真由美の家を出てから数分ほどで、タンノは自分の住んでいる小さなマンションに到着した。</p>
<p>　表札にある自分の名字を確認してから鍵を開ける。</p>
<p>　佐野真由美の部屋に入った時とは逆に、何も変わっていない懐かしい匂いがタンノを迎えた。</p>
<p>　ただいま、と普段なら言う事のない台詞を玄関に置いて、一直線にベッドに向かい倒れ込んだ。</p>
<p>　シャワーを浴びなきゃ、と瞼の暗闇を眺めながら言う。</p>
<p>　仰向けになって深い呼吸を慎重に何度も繰り返した。</p>
<p>　飼い犬を撫でるみたいに、指先でベッドの感触を確かめる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　俺の家だ。</p>
<p>　帰ってきたのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう思って、ほんの少しだけ涙がにじんだ。</p>
<p>　この世界から逃げ出そうとするみたいに、眠りは急速に広がっていった。</p>
<p>　目が覚めた時には元の世界に戻っていますように、と決して叶う事はないであろう願いをタンノは思い続けた。</p>
<p>　太ももで、着信の振動が鳴っている。</p>
<p>　何度か無視していると、観念したように携帯電話は息をひそめた。</p>
<p>　浅い眠りの中で、タンノはいくつもの夢を見た。次々と流れていく風景を見て、夢の中でも疲れていくのがわかった。あるとき、夢の中で夢だと気付き、タンノは自ら意識を現実に戻す。</p>
<p>　不完全な眠りでどれだけ寝ていたかわからなかったが、窓の外はすでに夜に切り替えられていた。</p>
<p>　まだ微睡みの中にある意識の中に、インターホンの音が降り落ちてきた。</p>
<p>　凍った水をかけられたみたいに、タンノの体は緊張で固くなる。</p>
<p>　重力になじんでしまった体をゆっくりと起こし、重い足取りで玄関へと向かう。</p>
<p>　言葉にならない縒れた声とともにタンノがドアを開けると、そこには高校の制服を着た髪の短い少女が立っていた。涙が瞳の中で揺れて、照明の光が散らばっている。</p>
<p>　タンノが何かを言おうとした瞬間、少女の両腕がタンノの首を掴んだ。</p>
<p>　少女はタンノの眼をしっかりと睨みつけたまま、細く固い指で握りつぶすみたいに首を絞める。</p>
<p>　タンノは止められた呼吸の中で、少女の宇宙のような瞳に見とれていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>第二十六話　「改竄」</title>
		<link>http://inner-clique.org/shibasaki_kudan/2975</link>
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		<pubDate>Tue, 24 Sep 2013 03:00:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[　エアコンの風が、汗と雨で濡れていた服をすっかりと乾かして、さらに熱を奪っていく。タンノは体が少しずつ凍えてい [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　エアコンの風が、汗と雨で濡れていた服をすっかりと乾かして、さらに熱を奪っていく。タンノは体が少しずつ凍えていくような気がした。さっきまで湯気を立たせていたコーヒーも熱を失って、体温と同じくらいになったカップを指先でなぞる。</p>
<p>　こんな真夏の真っ昼間に、どうして熱湯で淹れたコーヒーなんかを飲まなければならないのだろう。タンノはわざと頭の中で愚痴をこぼした。</p>
<p>　しかし、真由美がアイスコーヒーの作り方を知らない事を、タンノは知っていた。どんな季節でもどんな天気でも、出てくるのはいつもホットコーヒーだった。目の前にいる人物が紛れもなく本物の佐野真由美であることを突きつけられている気持ちになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「聞いてる？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美の声でシャボン玉が弾けるみたいに、タンノは我に返る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ああ、聞いてる、聞いてるよ。付き合ってたんだね」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは、プラスチックで作ったような安っぽい笑みを口のあたりにはりつけた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「付き合ってたんだねって、知らないわけないでしょう。なんだか、しばらく会わないうちに何もかも忘れちゃったみたいね」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美はこじんまりした鼻で、小さいため息を吐く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「今も、付き合ってるの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはコーヒーカップにかちかちと爪をぶつける。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「うん、今も付き合ってるよ。こんなに長く付き合うなんて思ってもなかったけど」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美は少し照れくさそうに言った。</p>
<p>　どこかで聞いた言葉だ、とタンノは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ああそうだ、俺がアオキに言った言葉じゃないか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちくしょう、とわずかに声に出してしまったが、真由美には届かなかった。</p>
<p>　ちくしょう、ともう一度胸の中でつぶやく。</p>
<p>　胸には氷で出来た棘がいくつも刺さってるみたいに寂しかった。</p>
<p>　アオキが死んだはずのあの時のことはどうなっているのだろう、とタンノは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そうだ。高校のとき、三年の夏にバーベキューやったよね？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは思い出を見つけたように訊く。</p>
<p>　真由美はコーヒーを口に含んだまま何度も頷いてから、ごくりと飲みこんで答えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「うん、やった。あの時、ほんとに大変だったね、二人とも生きててほんとうに良かったわ。今思い出しても背中がぞっとするもん」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「どんな感じだった？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「どんな感じって、何が？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「その、俺とアオキが川に入って、どうなったっけ？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは誘導尋問をするみたいに言葉をつなげた。</p>
<p>　真由美は少し思い出してから言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「タンノ君が滝壺みたいな、川の深くて流れの速いところにはまって戻ってこれなくなっちゃって、それを助けにトモヤ君が泳いで行ったんだけど、二人とも全然帰ってこなくて、もうほんとに、こっちが死んじゃいそうなくらいハラハラしたよ。もうほんとに帰ってこないんじゃないかと思った」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「でも、ちゃんと帰ってこれたんだよね」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そうよ、もうタンノ君、水いっぱい飲んでぐったりしてて、トモヤ君が必死で引っ張ってきたの。覚えてないんだっけ？　救急車呼んだり人工呼吸したり、引っぱたいたり大声で呼びかけたり、みんなほんとにやばいって思ってて、でも途中で気がついて意識が戻ったから、ほんとに安心したのよ。タンノ君の目が覚めたとき、腰抜けちゃったもん、私」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「大変だったんだな」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「タンノ君、意識無かったから覚えてないのかもしれないけど、ほんとに大変だったのよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「俺はアオキに命を救われたってことか」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そうよ、命の恩人なんだから、もっと大切にしてあげてよね。トモヤ君も、タンノ君に会えなくなってから相当落ち込んでたんだから」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そうなのか」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうことになっているのか、とタンノは思う。</p>
<p>　真由美が携帯電話を手にとって言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ねえ、今からトモヤ君呼んでもいい？　今日、日曜だから家にいると思うし、タンノ君が来てるって言ったらきっと喜んで来ると思うの」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美の指がリダイヤルのボタンを押す。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「いや、今日は遠慮しておくよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノが慌てて出した手がコーヒーカップにぶつかる。</p>
<p>　半分ほど残ったコーヒーが日本海の波のように揺れて、少しこぼれてしまった。</p>
<p>　ごめん、とタンノは言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「何で？　トモヤ君と会うの嫌？　会いたくないの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美は携帯電話を耳から離し、テーブルに置いた。がちん、という音がする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「嫌ってわけじゃないけど、久しぶりだし、突然だし、もっと落ち着いた時に会いたいと思って……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　不自然に慌てるタンノを見て、真由美は疑うように、ふうんと言った。</p>
<p>　これ以上ここにいるのは危険だ、とタンノは思った。</p>
<p>　他人のものになってしまった恋人の話を聴くのも辛かったし、アオキが生きている世界も恐かった。真由美がアオキの事を「トモヤ君」と呼ぶ度に、錆びたナイフで肌を削られるような気持ちになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「今日は急にお邪魔して、ごめんね」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ごちそうさま、と言って立ち上がった時、膝がテーブルにぶつかってまたコーヒーが少しこぼれた。</p>
<p>　真由美はそれを見て吹き出して笑った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「何やってんの、タンノ君」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　口に手をあてて笑う真由美を見て、寂しさと愛しさが破裂するみたいに溢れてきた。やわらかく垂れる髪や白く薄い肌に触れたくなったが、目を逸らしてやり過ごし、代わりに哀しい笑顔を持ち上げた。</p>
<p>　別れ際、タンノは住所と電話番号を紙に書いて渡した。住所を見て真由美は、ほんとうに近いんだね、と驚てみせた。</p>
<p>　当たり前だ、とタンノは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　俺が君の家の近くに引っ越して来たのだから、近所であるのは当然なのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またね、と言ってドアが閉まり、内側からチェーンがかけられる音が聞こえると、真由美とのつながりが切断されたみたいに思えた。しかしそれは、元々つながりの無い関係を目の当たりにしただけのことだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美はこの世界に存在した。</p>
<p>　内面も外見も、何も変わっていなかった。</p>
<p>　ただ関係だけが変わってしまっていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは胸の中の氷を溶かすみたいに、胸に手を強く押しあてた。</p>
<p>　心臓の音が鳴って、呼吸のたびに肺が膨らんで縮んだ。</p>
<p>　ドアの方を振り返る。</p>
<p>　その奥に真由美はいる、しかし、それはもう違う真由美だ。</p>
<p>　タンノは瞬きを一つして別れを告げた。</p>
<p>　夕立はすっかり止んで、外には雲と青空が散らばっていた。</p>
<p>　ため息を吐いてズボンのポケットに手を突っ込んだとき、間違えてスイッチを押してしまったみたいに携帯電話が震え出した。</p>
<p>　見てみると、タンノの目に先ほど電車の中で見た名前が映った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エンドウカオリからの着信だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>第二十五話　「不可逆」</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Sep 2013 03:00:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>柴崎件</dc:creator>
				<category><![CDATA[柴崎件]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文章]]></category>

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		<description><![CDATA[　タンノに関する物がすべて消え失せているということを除いて、真由美の部屋は元の現実とほとんど変わっていなかった [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[
<p>　タンノに関する物がすべて消え失せているということを除いて、真由美の部屋は元の現実とほとんど変わっていなかった。いつもの癖で危うくベッドに倒れ込んでしまいそうになったが、悲しい疎外感がタンノを引き止めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　フローリングの床にあぐらをかいて部屋を眺める。</p>
<p>　目に映るどれもが見慣れているものなのに、その全てに対してぎこちない距離をとらなければならない事が、タンノを余計に孤独にさせた。</p>
<p>　コーヒーをスプーンでかきまぜる音が背中の方で聴こえる。</p>
<p>　決して心地良くはない緊張感が、そこには含まれていた。</p>
<p>　タンノは少しだけ振り向いて真由美を見る。固くなった真由美の背中が目に入ると、すぐに視線を戻した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　噓でもないし、夢でもない。</p>
<p>　真由美にとって自分が存在しない世界が、あまりにも自然に目の前に広がっている。</p>
<p>　片桐が煙草を吸っているときもそうだったが、この世界が本当に本物の現実のように見えてしまうことがある。</p>
<p>　その境界は常にはっきりと切り分けられていなければならないし、この世界に浸食されてはいけない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは心の中で強く念じた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この世界と元の現実との差異を明確に確認し続けなければ、いずれ元の現実を忘れてこの世界がほんとうになってしまう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美がコーヒーを運んで来るまで、二人は一言も発さなかった。</p>
<p>　カップをガラスのテーブルに置く時、鋭い音が鳴った。</p>
<p>　このテーブルで何度もお茶を飲んだり食事をしたりしてきたが、タンノがそんな音を聞くのは初めてだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ありがとう」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは揺れて輝くコーヒーの暗闇に向けて言った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「温かいので良かった？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美が訊く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「うん、大丈夫」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そう言って、湯気の立つ暗闇を少し啜ってみせた。コーヒーの香りと薄い苦みで、タンノの頭はほんの少しだけ落ち着いた気がした。</p>
<p>　真由美も両手でカップを持って、舐めるように啜る。</p>
<p>　カップをテーブルに置いて、また鋭い音が鳴る。</p>
<p>　それが開始の合図であるみたいに、真由美は話を始めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「それで、今日はどうしてうちに来たの？　というか、よくこの場所がわかったね、誰かから聞いた？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「近藤」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノはほぼ自動的に答えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「近藤君？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そう、近藤。あいつもこの辺に住んでるだろ？　それで、住所教えてもらったんだ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは作った笑いを浮かべてコーヒーを一口飲んだ。</p>
<p>　さっきよりも苦みが増している。</p>
<p>　近藤は高校の同級生で、二人の共通の友人だった。かわいいものや華やかなものに女子よりも敏感で、身なりに人一倍気をつかう男だった。フラワーアレンジメントの仕事をしていて、代官山にあるフラワーブティック（要するに花屋だ）で働いている。</p>
<p>　この世界にも彼が存在していることに、タンノは少し安心した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そう、それで、実は俺も最近この辺りに引っ越して来たんだ。それで近藤から、佐野さんもここらへんに住んでるって聞いて、ちょっと近くまで来たからつい、尋ねちゃった」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　突然でごめんね、とタンノは真由美のコーヒーカップに向かって言った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なんだ、そうだったんだ。急に来たから何かあるのかと思ってびっくりしちゃったよ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美はそう言って溜め息を吐いてから、初めて笑ってみせた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「手みやげの一つでも持ってくれば良かったね、ごめん」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　彼女の笑顔を久しぶりに見た気がして、タンノも自然に笑った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「だってもう、何年も会ってないでしょう？　ずっと会いたいなって思ってたけど、都合が合わなくて、会えないまま連絡もとれなくなっちゃって……」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そっか」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　会いたいと思ってくれてたのか、とタンノは胸の奥に喜びを感じた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「そっかじゃないでしょ、もう。いつの間にか携帯の番号もアドレスも変わっちゃってるし、なんで教えてくれなかったの？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ごめん、とタンノは咄嗟に応じる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「多分、携帯無くしちゃって、佐野さんの連絡先もわからなくなっちゃったんだと思う」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「多分て何よ」　もう、と言って真由美は口を尖らせてみせる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「いや、よく覚えてなくて、ごめん」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「なんだかタンノ君、高校の時とあんまり変わってないわね。相変わらず、ぼんやりしてる」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美が呆れたように言うと、タンノは鼻を擦って誤摩化した。</p>
<p>　嬉しい事など一つもない状況なのに、どうしてこんなにも心がくすぐったくなるのだろう。</p>
<p>　彼女と話をしているとタンノはどうしても、高校時代の片思いしていた頃を思い出してしまうのだった。おそらくタンノに対する彼女の口調や対応が、その当時のままだからだろう。</p>
<p>　元の現実にあった親しさは微塵も無くなっているが、その代わり、誰にも踏まれていない一面の雪みたいな関係があった。</p>
<p>　性格も人格も変わっていないのであれば、この世界でも彼女ともう一度恋が出来るのではないだろうか。</p>
<p>　タンノはそう思って、ほんの少しだけ心を浮かべた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「最後に会ったのっていつだっけ？　覚えてる？　俺もう、忘れちゃって」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノが訊くと、真由美は眉を寄せて、うーんと小動物のような声で唸った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「高校卒業して何回か会ったきりだから、ほんとにちょうど十年前くらいかな。でも、急に会えなくなっちゃったでしょう、私、タンノ君に避けられてると思ってた」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「どうして？　なんで俺が避けるんだよ？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは真由美の言葉に不意を突かれて笑った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「だって、私たちが付き合い始めてから、タンノ君、急にそっけなくなっちゃったじゃない」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美はそう言って、体育座りの格好で膝を抱えて体を揺らす。</p>
<p>　タンノの顔が笑ったまま固まる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「私たちって？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンノは静かに揺れる彼女の髪の毛を見て訊いた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「私と、トモヤ君」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「トモヤ君？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　真由美は揺らしていた体をぴたりと止めて、笑顔の消えたタンノの目をじいっと覗く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「覚えてなわけないでしょう？　アオキ君よ、アオキトモヤ君」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アオキ君？　と、タンノは頭の中で言う。</p>
<p>　三途の白い川で、すまん、と頭を下げたアオキの後頭部を思い出した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(続)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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